生成AIの広がりとともに、AI処理を担う半導体への注目が高まっている。その代表格が汎用AIチップのGPU(画像や映像の処理を専門に行う高速計算用半導体チップ)であることは確かだが、日立製作所 研究開発グループがめざしたのは、データセンターで使うような汎用AIチップではない。製造設備や検査装置、産業ロボットなどの現場の機器に直接搭載し、センサーから得られる信号をその場で処理し、AI推論を実行するための半導体、すなわち「エッジAI半導体」である。

実はこの最先端の半導体開発の原点は、長年磨き上げてきたアナログ・デジタル変換回路の技術にある。そこには半導体回路技術の研究が次第に縮小していく時代を経験しながらも、研究の灯火を絶やさずに守り続けた人たちがいた。そしてその技術はフィジカルAI時代の到来とともに、大きな意味を持つことになった。研究開発グループの大島俊 主管研究員と、中村洋平 リーダ主任研究員に、日立が独自のエッジAI半導体を完成させた意義とそれまでの試行錯誤に満ちた歩みを語ってもらった。

目に見える価値を求めた2人の研究者

大島:2001年に日立に入社し、中央研究所の時代からずっと回路や半導体チップの研究を続けています。学生時代は物理学を専攻し、物理学者になるイメージを持って博士課程まで進みましたが、就職では方向転換し、回路研究の道に進みました。物理もとても面白かったんですが、電子工作やラジオ作りなどが好きで、動いたときの喜びや感動が忘れられなかったからかもしれません。一方で専門が物理だったこともあり、回路分野での採用は難しいだろうと思っていました。そんな中で日立が中央研究所(現在の研究開発グループ)でアナログ回路の人財を募集していることを知り、挑戦するつもりで応募したところ、幸いにして採用されました。とても喜んで入社したのを覚えています。

画像: 日立製作所 研究開発グループ Sustainability Innovation R&D 計測インテグレーションイノベーションセンタ エッジコンピューティング研究部 主管研究員・大島 俊

日立製作所 研究開発グループ Sustainability Innovation R&D 計測インテグレーションイノベーションセンタ エッジコンピューティング研究部 主管研究員・大島 俊

入社当初から回路設計に携わり、製品化にもこぎつけ、最初は近距離無線通信規格(Bluetooth)に準拠するICチップ開発に携わりました。一方で開発をリードしていた半導体事業部は、2003年に三菱電機の半導体事業部と統合して、合弁会社を設立しましたが、私はその後も研究開発グループで長い間その合弁会社が扱う半導体チップについての研究開発を続けました。日立製作所が半導体の製造事業から段階的に距離を置いていく中でのことです。

中村:私は2011年に日立に入社しました。その当時の指導員が大島さんで、半導体回路の「いろは」を学ばせてもらいました。学生時代は、電気電子工学科で半導体関係の研究を手掛け、大学院では人間の脳を模したニューラルネットワークのチップ設計に関わりました。神経回路が1、2個程度の小規模なチップに過ぎないのですが、とてもいい経験でした。その後博士課程への進学も考えましたが、チップ設計を通じて人工知能を実現する難しさを感じつつも、それをより早く実現し社会に役立てたいと考え、企業で研究する道を選びました。そして、センサー向けの回路や半導体回路の研究開発をしている日立の研究所の門を叩いた、というわけです。

画像: 日立製作所 研究開発グループ Sustainability Innovation R&D 計測インテグレーションイノベーションセンタ エッジコンピューティング研究部 リーダ主任研究員・中村 洋平

日立製作所 研究開発グループ Sustainability Innovation R&D 計測インテグレーションイノベーションセンタ エッジコンピューティング研究部 リーダ主任研究員・中村 洋平

入社後は大島さんに指導していただきながら、将来の半導体に向けた新しい方式の研究に着手しました。LSIそのものの開発というより、データ処理を通じて性能を高めるLSIの使いこなし方の研究、具体的にはデジタル処理によりアナログ・デジタル変換回路の性能を高める研究です。その研究を通じて、2013年には初めての学会発表を大島さんとさせていただきました。その後は、半導体事業を外部に切り分けていく会社の方向性に従って、半導体チップに関する研究から、半導体製造装置のための回路開発などLSIを作る側の研究へ軸を移し、3年前まで日立ハイテクに出向して、その分野の研究開発を続けていました。

逆境の半導体チップの研究を守り抜く

中村:日立が半導体事業を終了していく中で、当然半導体の研究も先細りになっていきましたが、それでも大島さんは半導体回路の研究を続けていました。私が日立ハイテクから研究所に戻ってきたとき、大島さんは日立オリジナルのエッジAI半導体につながる設計を続けていました。そこに私が合流した形になります。2020年のことです。その後は、大島さんが主管研究員としてチップの技術的な部分の取りまとめをする傍ら、私が応用的な観点でプロジェクトに参画しました。

画像1: 逆境の半導体チップの研究を守り抜く

大島:2010年以降も半導体チップの研究は続けていましたが、チップや回路の開発は研究所の中ではマイナーな勢力で、2020年ごろまでは大きな開発に取り組むのは難しい状況だったのです。一方で、中村さんが入社して、アナログ・デジタル変換回路という強みを作ってくれました。学会発表などを通じて社内外でプレゼンスを保ち続けることができたのです。

その後、半導体が国にとっても戦略物資として重要だという認識が復活し、さらにAIの隆盛による半導体ブームが2020年ごろにやってきました。そうした流れの中で、私たちが継続してきたアナログ・デジタル変換回路の技術を応用したエッジAI半導体の開発につなげることができました。日立の研究開発グループのいいところは、レベルの高い人財が個人プレイに走らない、チームプレイを重視する、という点にあると思うのですが、その意味でも回路に強い中村さんを迎えることができたのは私にとってもラッキーでした。

画像2: 逆境の半導体チップの研究を守り抜く

中村:大島さんは、技術としっかり向き合って、とことんこだわり抜くところがすごいと感じています。活路を見出して独自のプレゼンスを保ち続けていますし、そのための努力もなさっています。現在、日立で半導体回路の研究が続いているのは、大島さんの頑張りがあったからこそだと心から思っています。

AI時代に見つけた活路としてのアナログ・デジタル変換回路

大島:2012年ごろにディープラーニング(深層学習)が成果を見せ始め、AIブームが再燃しました。2017年ごろ、それまで続けていたチップや回路の開発で、日立も何かできることがあるのではないかとマネージャーや技術サイドで議論を始めました。

中村:議論を加速させるきっかけになったのは2019年に東京大学が、半導体の設計研究センターとして「システムデザイン研究センター(d.lab)」を創設したことにあるかもしれません。企業や大学が先端チップを作りやすくするプロジェクトです。日立もd.labに参加することになり、「せっかくだから何か作ろう」という話になったのです。

画像1: AI時代に見つけた活路としてのアナログ・デジタル変換回路

この話が大島さんに回り、継続してきたアナログ・デジタル変換回路の研究と、時代の流れに沿ったAIチップの開発とを統合したわけです。当時はまだ私はプロジェクトに参加していませんでしたが、だんだん技術が蓄積され、アナログ・デジタル変換回路と組み合わせることでデジタル側の良さも出てきて、今回ご紹介するオリジナルなエッジAI半導体が生まれたのです。

大島:昨年リリースしたエッジAI半導体も、当時はどのような用途になるかは見えておらず、アナログ・デジタル変換回路とAIチップを載せた半導体を作るという方向性だけ決めて、2020年に開発を始めました。当時はAIといっても、今のような生成AIが主流ではなく、ディープラーニングによる画像認識がひとつのトピックでしたが、日立としてはAI自体の処理に対する工夫と同時に、私たちの強みであるアナログ・デジタル変換回路もチップに載せようと考えたわけです。センサーの信号を取り入れて、アナログ・デジタル変換回路でデジタル信号にして、信号を画像に変換した上でAIが画像認識するチップです。さまざまなセンサーで取得したアナログ信号を、画像にして画像認識させれば、何らかの役に立つだろうという仮説ですね。

画像2: AI時代に見つけた活路としてのアナログ・デジタル変換回路

その当時は開発推進を経営陣に納得してもらうためのストーリー作りに必死でした。アナログのセンサーデータを画像認識することの意味をわかりやすく説明する必要があったのです。しかし今思えば「アナログ・デジタル変換回路を武器にして現場のデータをAIで判断するチップ」とは、まさにフィジカルAIそのものなわけです。

中村:私がプロジェクトに戻ってきたころには、技術がかなり蓄積されていて、アナログ・デジタル変換回路と組み合わせることで、デジタル側の良さも出てきました。日立オリジナルなエッジAI半導体が生まれつつあったのです。

「現場」の装置を低消費電力で知能化するAI半導体へ

大島:こうして、高性能なAIチップと高性能なアナログ・デジタル変換回路などを一つの「エッジAI半導体」としてまとめることができました。日立のエッジAI半導体は、片側に16個のアナログ・デジタル変換回路を集積しています。中央にはAIエンジンを配置し、その周囲を囲むようにメモリーを搭載しました。アナログ・デジタル変換回路からの出力は、疑似画像生成回路で画像に変換し、AIエンジンが画像認識をします。入力信号としてはカメラ画像だけでなく、各種センサーデータも扱えます。複数のセンサー信号を画像に変換し、AIエンジンで状態や変化を認識することで、センサーを設置した装置や機器の状態を把握できるようになります。センサーの信号を、画像として取り扱ってAIで認識する機能を、シングルチップにまとめることができたのです。

画像: エッジAI半導体の詳細構造

エッジAI半導体の詳細構造

そして日立のエッジAI半導体の特徴は、ほかにもあります。その1つが大容量のオンチップメモリーを搭載していることです。GPUに代表されるような汎用AIチップは、AIエンジンの役割を果たすグラフィック処理の回路が多くを占めています。もともと、グラフィック処理専用プロセッサーとしての歴史があるため、回路内のオンチップメモリーの容量が少ないんです。AIの演算処理をする際に、メモリーが少ないとデータの供給が滞り、結果として高性能なAIエンジンを生かしきれません。

画像1: 「現場」の装置を低消費電力で知能化するAI半導体へ

我々のエッジAI半導体では、大容量のオンチップメモリーを搭載することで、画像処理に特化したAIエンジンの処理能力とバランスを取りましたから、無駄なくデータをAIエンジンに供給できます。さらに、大容量オンチップメモリーはAIエンジンをぐるっと取り囲むように配置しました。この配置で、メモリーとAIエンジンの距離を近づけることで、消費電力を抑える仕組みです。完成したエッジAI半導体は、GPUの10分の1以下の消費電力に抑えながら、2倍のAI処理速度を実現できました。つまり同じ消費電力であれば20倍のAI処理速度、ということになります。

想定用途の1つである半導体検査装置をはじめとして、現場の装置の中に日立のエッジAI半導体を実装してAI処理を行うには、消費電力が少ないことは大きなメリットになります。また消費電力が少ないと発熱を抑えられるため、冷却や放熱のためのスペースも最小限で済みます。実装できるスペースが限られた装置にAI機能を搭載できるということは、フィジカルAIを活用するためには必須の条件ですからね。

私たちのエッジAI半導体は、半導体製造プロセスの中でも先端の7 nmのCMOSプロセスを採用しました。d.labと連携する先端システム技術研究組合(RaaS)のエコシステムを活用することで、最先端のプロセスを低コストで利用できました。それでも、7 nmのCMOSプロセスで半導体製造をするには高額なコストがかかります。

異なるセンサーや装置、条件などに対応するAIを開発するには、従来はそれぞれのケースに応じてアルゴリズムを設計しなければなりませんでした。センサーも異なり、出力される波形も、異常の状態も異なるからです。しかし日立のエッジAI半導体は、センサーデータを画像に変換し、画像認識の問題に帰着させています。つまり、異なるセンサーや装置に適用するときのアルゴリズム横展開が、とても簡単なんです。「画像に変換して学習」という方法は、システム開発の効率化にも寄与できるということが結果的に、いや、むしろ予定通り実証されたわけです。

画像2: 「現場」の装置を低消費電力で知能化するAI半導体へ

実用化に向けて技術の先に求められるもの

中村:正直、このプロジェクトに参加してすぐには、私自身がこのチップの良さを理解できていませんでした。多少なりとも半導体に関わってきた私でも理解できないということは、他の人にも良さが伝わらないということです。エッジAI半導体にアナログ信号を入力すると、画像に変換され、画像認識によって状態が分類されますが、これは実際に動いているところを見せないと価値が伝わらない。そこでデモ機が必要だとアピールしたところ、私が作ることになり、製作を手掛けることになりました。

日立のエッジAI半導体の動作をどのように見せたら価値が伝わるのか。検討を進める過程で、チップの理屈や中身がわかってくると、「これはとんでもないポテンシャルを持っているチップだ」と気づくことができました。世の中には汎用のAI処理をするGPUもありますが、このエッジAI半導体はセンサーなどの信号を取り込んで、その場でAIが判断するチップとして価値があることを、感覚的に理解できたのです。

その経験を通じて、エッジAI半導体をどのようなアプリケーションに適用すれば価値を生み出せるかを考えるようになりました。汎用GPUでできる処理や開発を、あえてエッジAI半導体に任せることの意味を考える作業です。1つは、データを装置の外部に出せないような条件での利用です。制約条件があって、AI処理を装置の中で完結させるには、電力や排熱の問題をクリアするために開発したエッジAI半導体のメリットが際立ちます。またミッションクリティカルな装置では、いったん稼働したら5年、10年と動作し続ける必要もあります。汎用のGPUは改版頻度が高いという供給上の問題もありますが、自社開発のエッジAI半導体ならば、長期的な供給もコントロールがしやすいというメリットがあります。

画像: さまざまな分野で適用可能なエッジAI半導体

さまざまな分野で適用可能なエッジAI半導体

そうしたメリットが生かせるアプリケーションを多く用意することで、エッジAI半導体の販売数を稼ぐ戦略を立てました。まず日立ハイテクの製品をすべてリストアップし、その装置の処理を書き出し、各部門にヒアリングをして、日立のエッジAI半導体が適用できる部分を見極めました。整理したのち、エッジAI半導体のアプリケーション候補リストを作りました。最初は半導体検査装置から実装を始め、日立ハイテク製品だけでも将来的に多くのアプリケーションでエッジAI半導体が価値を提供できることを示したのです。チップ設計そのものではない活動ですが、頑張った部分です。

大島:中村さんが組織や幹部の説得に費やしてくれたエネルギーは、ものすごいものでした。私たちはエッジAI半導体の効能を信じていましたが、信じる仲間を増やし、正しいと確信してもらえるまで説得することに、中村さんの力が不可欠でした。半導体検査装置で使うためのデモンストレーションや、将来の製品に実装できることを訴える中村さんのアピールが、多くの人の心を動かしていったのだと思います。

日立のエッジAI半導体の開発については、2025年10月に最初のプレスリリースが発表されています。この段階では研究開発フェーズの発表でした。その後、2026年4月には日立ハイテクと共同でリリースを出しています。日立ハイテクの製品に実装することが想定できる内容で、事業部門との共同リリースということは会社としても製品化に力を入れていることが伝わるものです。研究開発グループ発の技術に加えて、品質保証などの、商品化に不可欠な要素を急ピッチで準備して、製品にしていく段階に来ています。また私たちとしては、産業分野の装置に向けて、エッジAI半導体の研究開発をこれからも進めていきます。

中村:製品に実装して世の中に出していくために、研究所の中だけでなく、外部の人が目にする環境で実際に稼働させるステップに進まなければなりません。さらに製品化には、量産の仕組みを立ち上げる組織づくりなども必要です。製品化して、目の前で私たちが開発したエッジAI半導体が動く姿を早く見てもらいたいです。同時に技術そのものの価値も国際学会などを通じて発信していきます。

日本のLSI研究は長期的に下火になり、担い手も減っています。しかし、日立の頑張りでもう一度日本の半導体を盛り上げていきたいですし、全国的な活動が再燃したら本望ですね。

画像1: 実用化に向けて技術の先に求められるもの

中村 洋平(Yohei NAKAMURA)

日立製作所 研究開発グループ Sustainability Innovation R&D
計測インテグレーションイノベーションセンタ エッジコンピューティング研究部 リーダ主任研究員

強い技術を製品や事業にしていく歴史を見る

「日立の頭脳」(加藤勝美、講談社)から学びを得ました。私がLSIの研究開発を始めたころの上司から渡された本です。日立の電子顕微鏡がどうやって発達してきたかが記されています。電子顕微鏡にはまったく関わっていなくて、なぜ読まされるんだろうと思ったほどです。返却するときに感想を求められて、うまく答えられなかったので突き返され、再読しました(笑)。そして、電子顕微鏡は数が売れる装置ではありませんが、半導体製造に応用することで市場が大きく拡大していったことを理解しました。技術を製品や事業にしていく歴史を身にしみて感じ、非常に勉強になっています。この本は、上司には返しそびれて今も私の愛読書です。

画像2: 実用化に向けて技術の先に求められるもの

大島 俊(Takashi OSHIMA)

日立製作所 研究開発グループ Sustainability Innovation R&D
計測インテグレーションイノベーションセンタ エッジコンピューティング研究部 主管研究員

勧めにくいが印象に残っている一冊

井上靖の「蒼き狼」(新潮文庫)について話をさせてください。チンギス・ハンがモンゴル帝国を拡大して世界征服を手掛けるストーリーが展開します。子供のころから読んでいて、大人になってからも繰り返し読んでいます。50年以上も前に書かれた書籍で、今となっては殺戮シーンや男女差別などが受け入れられないかもしれません。しかし、自分とチンギス・ハンにどこか類似点を感じて読んでしまうのです。一つのことを突き詰めるところ、盟友やキーパーソンを信頼して進んでいくところなどが、自分の体験に合致しているようです。読んでいくと、苦痛を感じたり反発したくなったりすることも多いので「おすすめ」はしませんが、共感や惹かれる点がある複雑な思いのこもった本なのです。

画像3: 実用化に向けて技術の先に求められるもの

(撮影:服部 希代野)

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