がん治療で用いられる「CAR-T細胞療法」は、患者自身の免疫力の要であるT細胞(=T細胞受容体というタンパク質分子を介してさまざまな異物を認識して攻撃する免疫細胞)に、改変が施されたキメラ抗原受容体(CAR:Chimeric Antigen Receptor)の遺伝子を導入することで、がん細胞への攻撃力を高める革新的な治療法である。がん細胞を高い特異性で認識する抗体と、がん細胞への攻撃活性が強いT細胞の利点を併せ持つのが強みだ。しかしながら、リードタイムが長い、費用が高額、固形がんへの効果が限定的、といった課題が存在する。

日立ではこうした治療の効果を高めるために、遺伝子を改変して特別な機能を付加した細胞を「デザイン細胞」と称して研究開発に取り組んでいる。研究開発グループ Next Research デザイン細胞プロジェクトの奥田智彦らは、生成AIとタンパク質言語モデルを組み合わせ、最適な遺伝子配列をコンピュータ上で予測する画期的なプラットフォームを開発した。この技術により、従来は年間数十種類だった細胞の評価が10万種類規模へと飛躍的に向上し、実験コストと開発期間の劇的な短縮が可能になる。デジタルとバイオを融合させたこのアプローチは、安全で強力な次世代の免疫療法を患者へ迅速に届けるための鍵として期待されている。機械学習を活用して次世代のCAR-T細胞療法を効率的に設計・最適化するための技術手法について話を伺った。

執筆:森山 和道(サイエンスライター)

がん免疫療法「キメラ抗原受容体T細胞(CAR-T細胞)療法」とは

がんの治療法には外科療法、放射線療法、化学療法があり、これらは3大療法と呼ばれている。そこに近年、患者自身の免疫力を活用する免疫療法が普及し始めている。その一つであるキメラ抗原受容体T細胞(CAR-T細胞)療法は、患者自身のT細胞を取り出し、がん細胞を特異的に認識して攻撃するように遺伝子改変を施したあと、再び体内に戻す治療法である。

「CAR(キメラ抗原受容体)」タンパク質は、細胞膜表面に発現する膜貫通型タンパク質の一種で、主に3つのドメイン(領域)で構成されている。まず、特定のがん抗原を特異的に認識する抗体の短鎖可変領域フラグメント(single-chain variable fragment:scFv)である。これは抗体のH鎖とL鎖の可変領域をつないだもので、標的マーカーに応じた遺伝子を組み込むと、がん細胞の表面にある抗原を正確に認識することができる。

2つ目は認識部位を細胞表面に突き出して、タンパク質を細胞膜に固定するドメインである。細胞膜から適度な距離を保ってscFvの動きを柔軟にする働きがある。

3つ目は細胞内のシグナル伝達領域である。ターゲットを認識したら、T細胞に対して活性化(がん細胞への攻撃)シグナルを送るドメインである。

人工のCAR遺伝子を患者のT細胞に導入することで作られる「CAR-T細胞」が、がん細胞を免疫機能で特異的に見つけて破壊するという仕組みである。

2012年、ずっと研究を続けていたペンシルベニア大学のカール・ジューン教授らが中心となって、急性リンパ性白血病(ALL)を患う当時6歳のエミリー・ホワイトヘッドさんへの治療が実施された。彼女は重い副作用を乗り越えてがんを克服。ジューン教授らはその後、ノバルティスと共同でCAR-T細胞治療薬「キムリア(Kymriah)」を開発し、2017年に米国食品医薬品局(FDA)から承認を受けた。これが、がん免疫療法の節目となった。

その後もCAR-T細胞療法は、持続性やターゲティング、制御など研究開発が進められ強化し続けており、免疫療法、遺伝子療法、細胞療法を統合した個別化医療として、特に血液がん治療に劇的な進歩をもたらしている。

具体的な治療のプロセスはこうだ。まず患者の血液からT細胞を分離して採取したあと、レンチウイルスベクターなどを用いてCAR遺伝子を導入する。こうして作られたCAR-T細胞を大量に培養し、点滴により患者の体内に戻す。そして体内でがん細胞を直接標的化し、破壊する。

日本国内でも2019年以降、主に再発・難治性の血液がんを対象に複数の製品が保険適用され、従来の治療に抵抗性を示す難治性疾患への新たな選択肢となっている。しかし、胃がんや肺がんなどの固形がんへの適応拡大、サイトカイン放出症候群などの副作用の制御、細胞の改変・増殖に数週間から1か月以上を要する製造期間の短縮、そして高度な設備を持つ認定医療機関が都市部に集中していることによる地域格差や高額な医療費といった課題が依然として存在する。

日立では、これらの課題を乗り越えるため「デジタル×バイオ」の融合研究を加速させている。日立はもともと高品質な細胞を安定して大量に供給するため、熟練者のノウハウを再現した自動培養装置の開発をリードしており、iPS細胞自動培養装置の実用化などを実現してきた背景がある。細胞の採取から製造、輸送、投与に至る複雑なプロセスをデータでつなぎ、安全性を担保する統合管理プラットフォームも持っている。さらに、膨大なデータから薬剤の効果を左右する因子をAIが高速探索し、数式として提示するバイオマーカー探索プラットフォーム「B3 Analytics」を製薬会社に提供している。細胞培養加工施設のトータルエンジニアリング技術も保有しており、CAR-T細胞療法への取り組みもこの延長線上にある。

デザイン細胞開発プラットフォームとDBTLサイクルによる高速開発

日立の研究開発グループが開発した「デザイン細胞開発プラットフォーム」は、AIとオートメーション技術を用いて、最適なCAR-T細胞を効率的に探索する。生成AIを用いた遺伝子配列の自動生成とハイスループットな細胞評価を組み合わせることにより、従来の1,000倍以上に相当する年10万種類規模の細胞設計・評価が可能となり、次世代の安全で効果的なCAR-T細胞開発が現実のものとなりつつある。

「デザイン細胞開発プラットフォーム」では以下のDBTL(Design-Build-Test-Learn)サイクルを複数回実行することで、薬効の最大化を図る。

画像: デザイン細胞開発プラットフォームとDBTLサイクルによる高速開発

Design(設計): 細胞に付加したい機能に対応した、もととなる遺伝子配列と、それに対して変異を入れるなどして配列にバリエーションを持たせた遺伝子断片群を準備する。

Build(構築): これらを用いて異なる遺伝子をそれぞれ一つずつ持ったデザイン細胞の候補となる細胞群を作成する。細胞への遺伝子導入はロボットを使うことでハイスループットで自動化されている。

Test(評価): それぞれの細胞が当初想定したとおりの機能を持っているかどうか、その機能の強さはどの程度かといったことをハイスループットスクリーニング(大量自動評価)でテストする。セルソーターなどの自動機器を活用することで、CAR-T細胞の場合はがん細胞に対する攻撃の強さを、一度に14,000種類の細胞に対して自動評価することができる。このように「プールスクリーニング(単一細胞レベルの解析)」と「アレイスクリーニング(自動化された機能解析)」を組み合わせ、年10万種類規模の評価を実施する。

Learn(学習): 高い機能を示す細胞を抽出し、そのような細胞がどのような配列の遺伝子断片を持っていたかを確認する。どのような配列を持つ遺伝子が高い機能を示すのか、といった遺伝子配列と活性データの相関関係に関する独自のデータに基づいた大量のデータが得られる。これに論文などオープンなデータベースの情報も組み合わせて、機械学習を用いて最適な遺伝子配列を生成するAIを構築する。この遺伝子配列生成AIを用いることで、1億通りの組み合わせに及ぶ新たなCAR遺伝子配列を効率的にデザインする。

こうしたDBTLサイクルを回すことで、人の手で行えば10年はかかる結果が数か月で導き出せるほど高効率に、目標とするデザイン細胞を作出できるだけでなく、より高機能かつ安全な細胞を作り出すことができる。さらに、これまでに日立が研究・開発してきたiPS細胞自動培養技術などのノウハウをデザイン細胞の製造に活かすことによって、より高速で安価なデザイン細胞を届けることができるようになるという。

「人工CAR配列」を用いてタンパク質言語モデルをファインチューン、機能予測性能を向上

遺伝子の配列デザインによって細胞機能は異なると考えられるが、どのような配列がどのような機能を持ちうるかは不明なことが多い。これをAIを使って設計できるのがこの手法の強みだ。ポイントとなるのはCAR特化タンパク質言語モデルを活用した配列設計である。これにはタンパク質特化の大規模言語モデル「タンパク質言語モデル(protein Language Model:pLM)」を活用する。pLMはタンパク質を構成するアミノ酸配列を単語列とみなすことで、新規タンパク質の設計や、機能予測、相同性検索などを行うことができるAIモデルである。たとえば、Meta AIが開発したオープンソースの「ESM-2」は、単一構造からの高精度な三次元構造予測が可能だ。少ない計算量で高速に予測ができることもあり、タンパク質機能の予測や結合部位の特定などに幅広く用いられている。

日立では、生成モデルで創出した多様な「人工CAR配列」を用いてファインチューニングを実施し、CAR特異的なタスクに適応させた。CAR特有の配列特徴や機能的パターンを学習させることで、ウェット実験前に計算機上で、細胞傷害活性(標的となるがん細胞などを攻撃する能力)を高精度に予測できるようにした。具体的にはファインチューニング済みのESM-2から特徴量(埋め込み表現)を抽出し、実際に実験で評価されたCAR変異体の細胞傷害活性データを正解ラベルとして、活性予測器を構築した。これによりCAR-T細胞の活性(殺細胞効果)の予測性能を大幅に向上させることができたという。

データ駆動型のCAR設計アプローチにより、何百万通りもあるCAR配列の候補から、高い治療効果が見込める有望な変異体をコンピュータ上で高速に1次スクリーニングできるようになる。実験室での大量自動評価技術と組み合わせることで、次世代CAR-T細胞候補の創薬・開発期間を大幅に短縮し、より強力で安全な細胞療法の開発に繋がることが期待される。なお、ベースモデルに関しては今後、用途に合わせて探索していきたいという。

山口大学と共同で固形がんの治療をめざしたCAR-T細胞を開発中

CAR-T細胞療法は血液がんに対して高い治療効果が示されているものの、がんの多くを占める固形がんに対しては副作用や有効性などの課題を抱えている。これに対して日立では山口大学 大学院医学系研究科 免疫学講座 教授の玉田耕治氏らの研究チームと共同で、難治性の固形がんに対して高い治療効果を発揮しうる次世代CAR-T細胞を独自に創生し、その実用化に向けた研究開発を進めている。
国立大学法人山口大学が株式会社日立製作所とCAR-T細胞の技術改良に向けた共同研究を開始

山口大学の技術である「PRIME CAR-T細胞」とは、CARに加えて、さらに免疫反応を高める2種類の物質であるIL-7とCCL19を産生するように遺伝子改変されたT細胞である。通常のCAR-T細胞としての働きに加えて、患者の体内に存在するさまざまな免疫細胞をがん部分に集結、増殖させることを可能とした。これまでに、複数の動物モデルや初期の臨床試験において固形がんに対する治療効果を示唆するデータが得られているという。

2026年5月現在は、コンセプト確立と研究材料の準備段階で、具体的な成果はこれからだ。山口大学の「固形がんに対する次世代CAR-T技術」と、日立の「デザイン細胞開発プラットフォーム」を組み合わせることで、副作用回避と有効性の両立を通して、固形がんの治療への貢献をめざす。

シーズ探索から製造支援まで、横断的貢献をめざす

日立が直接、CAR-T医薬品を大量製造する計画はない。事業としてはシーズ探索から培養自動化装置等による製造支援までの横断的貢献に注力し、AI設計・高スループット評価の技術で細胞医薬の創製を支える。まずはCAR-T領域で実績創出をめざしている、と奥田は語った。日立の強みはAI設計+高スループット評価+製造自動化装置の総合力にあるのだ。

画像: ウエルビーイングを実現するデザイン細胞開発プラットフォーム - 日立 www.youtube.com

ウエルビーイングを実現するデザイン細胞開発プラットフォーム - 日立

www.youtube.com

関連リンク

This article is a sponsored article by
''.