日立神戸ラボでは、再生医療の発展に欠かせない細胞自動培養装置を実用化し、iPS細胞を用いた治療の臨床試験の実施に貢献、また、新しい細胞治療の開発に向けたシステムづくりを進めている。半澤宏子ラボ長代行と大熊敦史研究員に、再生医療や細胞治療の将来像と課題、日立神戸ラボでの今後の技術開発の構想を聞いた。

開発した細胞自動培養装置で製造した細胞が初めて患者さんの治療に使われた

半澤:日立神戸ラボは医療産業都市神戸のポートアイランドにあります。私たちが所属する再生医療のチームは、埼玉県比企郡鳩山町から2017年に移ってきました。ここには臨床研究ができる病院や理化学研究所のような研究機関、製薬企業、バイオベンチャーなどが集まっています。まさに、日本の再生医療の一大拠点に飛び込み、研究開発を加速させているところです。

再生医療チームは、ここで主に細胞自動培養装置の開発や、次世代の細胞治療を支える技術の開発を行っています。

現在、再生医療に使う細胞の多くは、細胞製造施設で細胞培養の熟練した技術を持つ人の手で培養されています。それでは再生医療を大規模に展開できません。

日立は2002年から細胞自動培養装置の開発を始め、基礎技術を確立した後、2016年に臨床応用可能な装置の開発に成功しました。そして、京都大学iPS細胞研究所が開始したiPS細胞(induced pluripotent stem cell、人工多能性細胞)を用いたパーキンソン病の臨床試験用の細胞を製造する大日本住友製薬さんに新機種を2019年に納品しました。2021年は、この装置を使って作った細胞が初めて患者さんに届いた、記念すべき年になりました。

画像: 開発した細胞自動培養装置で製造した細胞が初めて患者さんの治療に使われた

入社後に多様なプロジェクトに関わり、博士号も取得

半澤:高校生の頃、複雑に見える生命現象が単純な化学反応の連鎖として説明できるはずだという生物の先生の言葉が新鮮で、もともと生き物に興味があったこともあり、農学部に進学しました。当時は遺伝子工学の黎明期で、生物の設計図である遺伝子を操作すれば生命活動や細胞の機能を制御できるという期待が高まっていて、そのシステムの全体像を見たいと思っていました。

大学卒業後は研究職を希望し、1991年に日立製作所に入社して、基礎研究所(当時)に配属されました。そして、微生物による生理活性物質の生産、虚血性心疾患のバイオマーカーの探索などさまざまな研究に従事しました。中でも大きかったのは国のプロジェクトで植物の光受容体の構造-機能相関解析を担当したことで、このテーマで2006年に博士号を取得しました。人生で実験に最も集中できた時期でした。日立には研究者としての私を育ててもらったとほんとうに感謝しています。再生医療のチームには2016年から加わり、ラボの移転に伴い、翌年、神戸に移りました。

画像: 入社後に多様なプロジェクトに関わり、博士号も取得

日立神戸ラボで開発した細胞自動培養装置は、今後、さらに機能を付け加えていく予定です。そして、この細胞自動培養装置の開発の経験をベースに、再生医療をはじめ、治療に使う細胞そのものの開発にも関わって行きたいと考えています。再生医療チームはこれから新しいフェーズに入っていきます。そこで遺伝子改変技術により機能を付加した細胞の開発経験が豊かな大熊さんに加わってもらいました。

<参考情報>

日立評論
「次世代を切り開く破壊的技術の創生 オープンイノベーションで拓く再生医療の未来」
PDFを見る

日立評論
「根本治療を可能にする再生医療とそれを支える自動培養技術」PDFを見る

画像: <参考情報>

がんの免疫療法用の細胞の高機能化をめざす

大熊:私が担当しているのは、現在、がんの免疫療法の一つとして用いられるCAR(Chimeric Antigen Receptor)-T細胞(キメラ抗原受容体導入T細胞)療法を高機能化するためのシステム開発です。

高校生の時にゲノムプロジェクトが完了し、バイオテクノロジーの時代が来るとよく報道されていました。愛読していた科学雑誌『Newton(ニュートン)』にもゲノムの話がしょっちゅう掲載されていました。それで生物に興味を持ち、東北大学理学部生物学科に入学し、研究が面白そうだったので、免疫学の研究室を選択しました。免疫学では、免疫はよくオーガナイズされているという観点からの研究が多いのですが、私は自己免疫疾患、つまり免疫が破綻したときの状態を研究し、大学院で博士号を取得しました。ポスドク時代は東京のがん研究会がん研究所で細胞老化とがん免疫についての研究に従事していました。

その後、病気と免疫の関連のメカニズムだけではなく、治療につながる研究をしたいと思うようになり、米国ボストン大学でCAR-T細胞を研究しました。研究室は工学部にあり、そこで、基礎医学の研究者というよりは生物工学のエンジニアとしてのマインドセットをたたき込まれました。それで、エンジニアとしてキャリアを積みたいと2019年に日立に入社しました。

画像1: がんの免疫療法用の細胞の高機能化をめざす

CAR-T細胞は、免疫細胞の1つであるT細胞の表面の抗体を遺伝子改変したものです。T細胞は自身の表面にある受容体で異物の表面にあるタンパク質を認識して、その異物を攻撃します。この受容体を遺伝子改変技術で改変すると、狙ったものを認識できるようになります。

CAR-T細胞療法は、患者さん自身の血液からT細胞のみを抽出し、遺伝子導入によって、がんを攻撃するように改変したCAR(chimericantigen receptor:キメラ抗原受容体)を発現させ、そのT細胞を患者さんに戻すことでがんを治療するものです。この治療法の発想は古くからあったのですが、2017年に初めて治療薬として承認されました。

画像2: がんの免疫療法用の細胞の高機能化をめざす
画像3: がんの免疫療法用の細胞の高機能化をめざす

CAR-T細胞療法には期待が高まる一方ですが、2022年3月現在、世界で承認されているのは血液がん治療用の5種類のみです。しかも、患者さん1人1人のT細胞を採取して改変するため、非常にコストがかかります。1回の治療で済み、患者さんの自身の負担は高額療養制度で抑えられてはいるものの、薬価は3000万円以上で、国の医療費を圧迫します。CAR-T細胞療法の製造のコストダウンは直近の課題なのです。その他にも、CAR-T細胞を高機能化することで、その適用を固形がんや他の病気に広げていくことが求められており、その達成のためには新たな発想や技術が必要です。

日立神戸ラボでは、このCAR-T細胞療法への期待と現状のギャップを埋めるシステムを構想中です。現在は1種類のがんに対してのCAR-T細胞の開発が成功したとしても、別のがんに対してのCAR-T細胞のデザインの最適化は0から行うというアドホック的な開発に終始していますが、これを細胞をハッキングしてコードを書くようにシステマティックに開発したいと考えています。

CAR-T細胞の開発には、細胞、遺伝子、タンパク質それぞれの性質やデザインの知識が必要ですし、高機能化すれば、検証も製造もさらに難しくなります。次世代CAR-T細胞の開発システムを日立で開発するのですから、情報科学や機械工学などを組み込んで、次世代CAR-T細胞の作製をめざすと同時に、細胞の製造や検証の方法論の開発、そして細胞そのものが持つデザインの原理の追究も行っていきます。

画像4: がんの免疫療法用の細胞の高機能化をめざす

再生医療や細胞治療の課題の解決にチャレンジしていく

半澤:細胞は生きているので、細胞製品として製品化したときの歩留まりが悪いという点がネックになっています。また、細胞自動培養装置でいえば、手作業による培養を前提に培養技術者が、例えば日中や平日に作業をしやすいようにひとの都合で確立されてきた培養手順を装置に入力して細胞製造を行うわけですが、実際には細胞にとってその製造方法が必ずしも最適化されていない可能性もあります。将来的には装置自身が、培養中の細胞の量や質を確認しながら、細胞にとって最適な条件下で培養を行うことができるインテリジェントな細胞自動培養装置をめざし、まずは細胞の元気度、ハッピー度を測る指標を抽出し、その後に培養条件の調整方法を確立していきたいと考えています。

大熊:CAR-T細胞療法では、治療に使われているCAR-T細胞の質や量の情報がフォーマット化されていません。臨床研究段階の論文では、細胞の製造時のCAR-T細胞の状態や、それはどのように計測したかという項目が標準化されていない。。そういった情報はCAR-T細胞製造の改良や新たなCAR-T細胞の開発に大きくかかわるので、フォーマット化することが必要だと感じています。

半澤:患者さんのT細胞の状態、CAR-T細胞の投与方法や治療後の状況も含めて、細胞の製造や治療に関する情報は標準化やデータベース化が課題ですね。日立はデジタル技術を活用して社会に貢献するのがミッションですから、再生医療や細胞治療に関してもデジタルデータの作り方、使い方の提案が腕の見せ所です。
日立神戸ラボのすぐ隣には理化学研究所の計算科学センターがありますし、神戸医療産業都市の方からも、スーパーコンピューターを使いませんかと声をかけられています。

大熊:次世代CAR-T細胞の開発システムの構築には大量のデータが出るため、AIが必須です。理研のスーパーコンピューターが必要になるほどデータが溜まるまでになればうれしいことですね。

画像1: 再生医療や細胞治療の課題の解決にチャレンジしていく

半澤宏子(HANZAWA Hiroko)

日立製作所 研究開発グループ
基礎研究センタ
日立神戸ラボ
ラボ長代行/主任研究員

コロナ禍の今だからこそ読みたい旅の本

大好きで間違えて何度も買い直してしまい、3冊も持っている『ハワイイ紀行』(池澤夏樹著、新潮社)。旅が好きで、新型コロナウイルス感染症の流行が始まる前は1年に一度は海外に遊びに行っていました。この本はハワイの奥を知ることができ、写真も美しく、海外に行けない今だからこそ読み返したい本です。

画像2: 再生医療や細胞治療の課題の解決にチャレンジしていく

大熊敦史(OKUMA Atsushi)

日立製作所 研究開発グループ
基礎研究センタ
日立神戸ラボ
研究員

科学や医療の未来を感じさせてくれた、思考の原点

『攻殻機動隊』(志郞正宗著、講談社)シリーズに超小型の機械「マイクロマシン」が出て来ます。これを体に打ち込むと自律的に脳細胞に結合して脳をハックし、外部とのやりとりができるようになるというものです。これは免疫細胞の働きと似ていると思います。漫画としてももちろん面白いし、このような設定を作り込むというのが科学者やエンジニアに近い発想だと思います。中学生くらいのときに読み、未来を感じさせてくれました。今の自分の思考のベースになっていると感じます。

画像3: 再生医療や細胞治療の課題の解決にチャレンジしていく

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