シンプルな構造と計算の信頼性向上で、量子社会の実現と産業変革を加速
日立は、シリコン量子コンピュータの実用化に不可欠な「大規模化」と「計算の信頼性」の両立に向け、2つの新しいスピン量子ビット*1制御技術を開発しました。1つ目は、制御装置から少ない信号線で制御信号を送り、量子チップの近くで高精度な制御信号を作り出す独自のデジタル制御方式です。これにより、量子コンピュータの規模が拡大しても配線が複雑化せず、シンプルな構造で大規模化と運用の容易さを実現します。2つ目は、外部からのノイズや揺らぎの影響を抑え、計算中も量子ビットの安定した状態を長時間維持できる新しい制御技術です。この方式の導入により、シリコン量子ビットの忠実度*2が、従来の95%から99%以上に大幅に向上し、高い計算信頼性を実証しました。これらの成果は、量子コンピュータの実用化に向けた技術的進展であり、創薬や材料開発、金融分野など、量子コンピュータの活用が期待される多様な分野において、社会課題の解決や新たな産業の創出に寄与する基盤となります。今後は、理化学研究所(以下、理研)をはじめとする国内外のパートナーと連携*3し、シリコン量子コンピュータのクラウド公開*4に向けて、量子技術の社会実装を推進していきます。
*1 量子ビット: 量子コンピュータで利用される情報の最小単位
*2 忠実度: 量子ビットの操作がどれだけ理想的な操作に近いかを表す性能指数。100%が完全に理想的な操作を示していて、量子誤り訂正などを含む量子コンピュータの実現には、99%以上の値が必要
*3 シリコン量子コンピュータの実用化に向けた研究開発を加速 - 研究開発:2025年10月2日
*4 量子コンピュータのオープン実験環境を提供するクラウドサービス。2027年までに公開予定
背景および課題
量子コンピュータは、大規模な最適化や新素材の開発、医療、金融分野など、従来型計算機では困難だった社会課題の解決に貢献する基盤技術として期待されています。これまで日立は、シリコン量子ビットを格子状に配列する2次元シリコン量子ビットアレイ*5の開発や、量子ビットを効率的に制御するシャトリング量子ビット方式*6の提案、量子ビットの安定化技術*7の研究を進めてきました。また、量子技術分野で先進的な研究を行う理研等と連携し、実用化に向けたグローバルな研究開発体制を構築しています。一方で、実用化には100万規模の量子ビットを安定して制御する必要があり、その実現には、量子ビットの増加に伴う配線の複雑化や外部ノイズによる量子状態の崩壊が課題でした。これら2つの課題に対して、構造の簡素化を実現する技術と、計算の安定性を高める技術の開発が求められていました。
*5 量子コンピュータ大規模化の壁を破る2次元シリコン量子ビットアレイの基本構造の試作に成功:2020年4月27日
*6 シリコン量子コンピュータの実用化に向け、大規模集積に適した新たな量子ビット制御方式を提案:2023年6月12日
*7 日立、量子コンピュータの実用化に向けて量子ビットの寿命を100倍以上長く安定化させる操作技術を開発:2024年6月17日
開発した技術の特長
これらの課題を克服し、量子コンピュータの大規模化と安定動作の実現に向けて、日立は以下の技術を開発しました。技術の特長は以下のとおりです。
1. シリコン量子コンピュータの複雑な配線を不要にするデジタル制御コンベアベルト・シャトリング方式
日立は、シリコン量子コンピュータの実用化に不可欠な大規模化とシンプルな構造実現の両立を可能にする新しいデジタル制御方式を開発しました。従来、量子ビット数が増加するたびケーブルが増えて配線スペースが不足することや、長い伝送経路による波形のゆがみ*8などが大規模化の障壁となっていました。本方式では、室温から少数の信号線のみで直流電圧をチップ近傍まで送り、スイッチマトリクス回路*9で高速に切り替えることで、必要な制御波形を高精度に生成します。これにより配線を大幅に削減し、チップ直近で波形を作ることで伝送歪みも抑制され、仕組み全体がシンプルかつ拡張性の高い構造となります。量子力学的シミュレーションでも、従来のアナログ方式と同等の99.9%という高いシャトリング忠実度が見込まれており、量子誤り訂正*10を伴う大規模集積型量子コンピュータに必要な性能水準を満たしていることが確認できました。今回の開発は、量子コンピュータの大規模化に向けた技術的な進展を示すものであり、社会実装に向けた重要なステップです。今後は実チップでの低温実証や、誤り訂正を見据えた多様な制御パターン開発を進め、シリコン量子コンピュータによる誤り耐性量子計算の社会実装を加速します。
本成果の一部は、2025年10月9日に米国カリフォルニア州で開催される「The International Conference on Spin Shuttling 2025」で発表予定です。

図1 シャトリング技術の比較。従来のシャトリングでは、室温の任意波形発生器が作るアナログ高周波信号を、量子ビットごとに専用の同軸ケーブルで希釈冷凍機の最下段(数十ミリケルビン)まで届けており、配線スペースの不足とビットごとに細かな補正が必要になるなど、大規模化を阻む課題が顕在化してきました。日立が今回提案した「デジタル制御コンベアベルト・シャトリング方式」は、量子ビットを駆動する波形を量子チップ近傍の極低温環境で生成することで、従来方式の配線ボトルネックを緩和します。
*8 波形のゆがみ: コネクタ等で発生する反射の影響で元の信号が乱れる現象
*9 スイッチマトリクス回路: 複数の入力を複数の出力に自由に接続(ルーティング)できる回路スイッチ
*10 量子誤り訂正: 量子コンピュータがノイズなどの影響で発生する誤りを量子ビットを冗長に符号化することで訂正する技術
2. 計算の信頼性を飛躍的に高める、ノイズ耐性を備えた量子ビット制御技術
量子コンピュータの実現には、高精度かつ安定した量子ビット制御が不可欠です。日立は、2024年にConcatenated Continuous Driving (CCD)方式を導入し、ノイズの影響を受けやすいシリコンスピン量子ビットの寿命を従来比で100倍以上に延伸する技術を確立しました*7。
今回日立は、このCCD方式をさらに発展させ、マイクロ波を常時照射する「連続駆動」とマイクロ波の位相制御を組み合わせることで、量子ビットの状態を保持したまま高忠実度な操作(量子ゲート演算)が行えることを実証しました(図2)。さらに、量子操作の忠実度は従来の95%から99%以上へと大幅に向上したことを確認しました。この成果は、多数の量子ビット集積時にも高い計算信頼性を維持できる基盤となり、量子コンピュータの社会実装に向けた技術的進展を強く後押しするものです。
なお、本成果の一部は、2025年10月6日から8日に米国カリフォルニア州で開催される「Silicon Quantum Electronics Workshop 2025」で発表予定です。

図2 量子ビット操作手法の比較。従来方式では量子ビット操作時にマイクロ波を照射していたが、本手法では常時マイクロ波を照射しマイクロ波の位相変調で量子ビット操作を行う。これにより2重ドレスド状態で保護された量子ビットの量子操作を行うことができる。
今後の展望
今後も日立は、理研をはじめとする国内外のパートナーと連携し、量子技術の社会実装と新たな成長領域の開拓をめざします。特に、シリコン量子コンピュータのクラウド公開に向けて、産学官連携や国際標準化を推進し、量子クラウドサービスや新産業創出など社会実装を加速します。日立は、量子技術を通じて持続可能な社会基盤の構築と産業変革に貢献していきます。
謝辞
本研究は、ムーンショット型研究開発事業 目標6「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現(プログラムディレクター: 北川勝浩)」の研究開発プロジェクト「大規模集積シリコン量子コンピュータの研究開発(プロジェクトマネージャー: 水野弘之)グラント番号 JPMJMS2065」による助成を受けて行われました。また、本結果の一部は、国立大学法人東京科学大学、国立研究開発法人理化学研究所、日立ケンブリッジラボ、国立大学法人東京大学との共同研究の結果得られたものです。
照会先
株式会社日立製作所 研究開発グループ