従来の水電解システムによる水素製造は低電圧・大電流を前提としており、設備の大型化や電力変換の複雑化が避けられない、という弱点がありました。水素は脱炭素社会の鍵とされながらも、その製造コストやシステム大規模化がその普及を阻んでいました。日立製作所 研究開発グループはその問題点の核心に、液体と気体との混合流体と高電圧化を両立させるための絶縁の問題があることを突き止め、高電圧水素製造システムを実現する絶縁配管技術を世界で初めて開発し、耐電圧試験に成功しました。この技術およびシステムの将来展望を、Sustainability Innovation R&D 環境システム研究部の杉政昌俊主任研究員とNext Research 水素バリューチェーンプロジェクトの藤田晋士主任研究員に尋ねました。
水素とは関わりが薄い学生時代の研究
藤田:学生時代は電気エネルギーシステムを専攻し、超電導の研究をしていました。電気抵抗ゼロの超電導に、環境問題やエネルギー問題を解決できる可能性があると考え、テーマに選んだのです。そしてサブテーマの一つに、超電導を利用した変圧器(超電導変圧器)の検討があったことから、変圧器の本格的な研究開発ができる日立に魅力を感じ、アプローチしました。

日立製作所 研究開発グループ Next Research 水素バリューチェーンプロジェクト 主任研究員・藤田晋士
入社後は大きく3つの仕事に取り組んできました。最初は変圧器の開発、その次に高電圧から大電流へのシフト、3つ目が超電導を用いたMRI(磁気共鳴画像)装置の開発です。そして2022年からは水素の製造システムと輸送に関わり、現在に至っています。製造システムでは、今回ご紹介する高電圧の水電解装置の絶縁を中心に研究しています。「絶縁」には変圧器の開発を進めていた頃から関わっていましたので、一周して元に戻ってきた感じですね(笑)。
いずれにしても日立には、材料や熱などの様々な分野の専門家が大勢いるので、困ったときに相談しやすくとても助かっています。
杉政:学部時代から博士課程まで、一貫して電気化学の電極界面反応の研究を手掛けていました。いわゆる金属めっきがテーマで、分子や原子の吸着などの挙動を捉える研究がメインでした。数ナノメートルといった微細な原子の挙動を計測しており、その経験が日立が手掛けていた半導体製造の高性能化に役立つと考え、日立に就職していた研究室の卒業生にご紹介いただき、見学に行ったところ、マニアックなめっきの技術が企業としての研究と噛み合ったことから、日立の門を叩いたのです。

日立製作所 研究開発グループ Sustainability Innovation R&D 環境・エネルギーネクサスイノベーションセンタ 環境システム研究部 主任研究員・杉政昌俊
入社後も、主にめっき関係、腐食の研究などに携わっていました。培った知識は触媒にも生かせるということで、当時開発が立ち上がっていた燃料電池の触媒の開発に関わるようになりました。それ以降は、継続して環境関係の開発を行い、現在に至っています。
水素には3回関わっています。最初は燃料電池の研究、次に2010年代半ばに水素キャリアとして期待されているMCH(メチルシクロヘキサン)の研究、そして2020年以降は、今回ご紹介する水素製造システムのテーマリーダーとして関わることになったのです。
脱炭素と電力変動が生んだ水素への期待
藤田:昨今では、地球環境問題への対応から、脱炭素への取り組みが進められています。日本でも2050年までに温室効果ガスの排出をネットゼロにする目標を掲げています。そうした中で、石油化学燃料に代わる代替エネルギーのひとつとして水素が注目されています。一方で、水素はエネルギーとしてまだ身近に普及していません。製造コストが高い上にデリケートな取り扱いが必要になるからです。加えて、将来的に水素が大量に使われるようになったときには「どのような方法で水素を作るか」も課題になるはずです。水素は水を電気分解することで作られるのはご存じかと思いますが、電気分解する電力が、石油化学燃料由来では温室効果ガスの削減につながりません。そこで再生可能エネルギーに由来する電力で作った水素を「グリーン水素」(注)と呼び、グリーン水素を安定的に製造する技術が求められている、というわけです。
注)化石燃料をベースに生成された水素は「グレー水素」、水素の製造工程で排出されたCO2を回収して貯留・利用したりする場合は「ブルー水素」、そして再生可能エネルギーなどを使って、製造工程においてもCO2を排出せずに作られた水素が「グリーン水素」である。
グリーン水素には、再生可能エネルギーの不安定な出力を平準化する効果も期待できます。太陽光や風力のように外部環境の変化で発電量も変化するエネルギーは、電力系統に接続したときに需要の変動と連動せずに発電されます。余剰な電力が生まれているときに、電気分解によってグリーン水素を製造しておけば、余剰電力を水素というエネルギーに変換して蓄積することができます。余剰電力を使えば、グリーン水素の製造も低コストで実現できます。
低電圧・大電流という従来方式の限界から高電圧への発想転換
藤田:一方で、水素を製造するための水電解システムにも、今後の大容量の水素製造を考えたときに課題があります。それは、既存の水電解システムが「低電圧・大電流」を前提にした構成だということです。1 kV以下の低い電圧で、大電流を与えることで水素を発生させているのが現状です。
低電圧であることの最も大きな課題は、低い電圧の直流電流を作る仕組みが必要になること、にあります。工場や大規模住宅などは33 kV、66 kVといった高電圧交流の電力系統に接続していますが、これを1 kV以下の電圧にするためには、多段で変圧器を介して、さらに直流に変換する必要があります。これらの設備の設置や維持には大きなコストがかかります。
ですから、電力系統の高電圧をそのまま使って水電解システムを作れないかというところが発想の原点でした。高い電圧で動作させるとシステムは小型化できますし、日立がこれまで培ってきた高電圧の変圧器技術を活かせます。そもそも、高電圧の小型の水電解装置はできないの?という疑問からスタートして検討していったところ、どうやらできそうだということがわかってきました。
杉政:世界中を見渡しても高電圧の水電解装置の研究はなかったと言ってもいいでしょう。水電解はこれまで電流をいかに多く通すかが開発の要であり、世界の各社のロードマップも低電圧を前提にしていました。水電解装置は電気分解の最小単位のセルを積み重ねた「スタック」で電気分解しますが、装置の大規模化の検討が進められる中で、電力変換器の大型化や高コスト化などの課題も出てきていました。
これは「高電圧の水電解装置」という私たちの考え方自体が傍流で、ほとんど検討されていなかった、ということに他なりません。しかし、水素製造システムの大規模化の流れの中で高電圧の水電解装置について改めて検討してみたところ、実現できそうなうえに、効果が得られそうだという判断に至りました。
日立は高電圧の電源関連の製品が豊富です。そこに水電解装置をつなげる発想ができたことで、今回のプロジェクトが動き始めました。高電圧製品や水電解装置を作っているメーカーはあっても、それぞれがその専業メーカーですから、それらをつなげる発想はなかったでしょうし、文化が異なります。日立の社内でも異なる技術分野における文化のすり合わせには苦労しますから、企業間でそれをすり合わせるのは非常に難しいと思うのです。
高電圧の水電解装置に立ちはだかる「絶縁」の壁
藤田:高電圧の水電解装置を実現しようとしたときに、大きな課題になったのが高電圧の絶縁でした。
水電解装置の内部には、水や電解液に加えて、水素や酸素といったガスが存在します。これらは電気的には導電性や放電リスクを伴う環境であり、高電圧がかかることは避けなければなりません。水素が漏れている環境では、静電気程度の微小な放電でも水素爆発を引き起こします。高電圧で動かすためには、導電性や放電リスクを最小化する絶縁が不可欠なのです。そこで、社内の高電圧の技術を組み合わせて、絶縁を確保する研究を始めたのです。

従来の水電解装置は、低い電圧で動かすことを想定しています。低電圧用の装置に対して、碍子(がいし)や建屋の壁などを工夫して0Vにする構造は作れました。しかし、水電解装置には配管が必要です。高電圧で絶縁できる配管は、世の中にありませんでした。高電圧の絶縁配管に求められる性能は、電気的な「絶縁性」に加えて、水素が漏れてこない「ガスバリア性」、高温・高圧に耐える「耐熱性」「耐圧性」、不純物による腐食に耐える「耐食性」があります。これら5つの性能を満たす配管が必要なのですが、従来よく使われるフッ素樹脂のPTFE(ポリテトラフルオロエチレン)は、耐圧性に欠け、ガスバリア性でも不安がありました。絶縁性やガスバリア性に優れるセラミック製配管も、接合部からの溶出による耐食性に難があります。1つの素材で高電圧水電解装置の要求を満たせる配管はみつかりませんでした。

そこで、私たちはこれまでに培ってきた絶縁技術を応用し、複数の樹脂に機能を持たせることで1本の絶縁配管を作ることにしましたが、1つの素材で高電圧の絶縁配管を作るとなると、材料開発から研究を始める必要があります。これには長大な時間がかかるリスクがあります。そこで既存のものを組み合わせることで求める性能を得る方向に舵を切りました。
複合素材の絶縁配管で性能検証に成功
藤田:具体的には、ガスバリア性が高いEVOH(エチレンビニルアルコール共重合樹脂)、耐圧性が高いGFRP(ガラス繊維強化プラスチック)、耐食性に優れたHDPE(高密度ポリエチレン)を組み合わせて、要件を満たす1本の絶縁配管を作りました。この絶縁配管を使って、実際に水素が流れている環境下で10 kVの高電圧を掛けて性能検証を行いました。その結果、耐圧・耐熱・ガスバリア性を維持しながら、時間変化に対して漏れ電流の増加がないことを確認しました。絶縁に成功したのです。

高い電圧で水電解装置を動かしてもシステムが安全にきちんと動くことを示すことが求められていただけに、絶縁配管の技術は急務だったんです。
杉政:「こういう考え方で絶縁配管を作りました」という成果は、新聞でも取り上げていただきましたが、「配管ができました」「すごいですね」で終わってはいけません。配管の中を水素や水が流れて、ガスと水が混合した実際の水電解環境で高電圧をかけても絶縁ができることが実証できなければ意味がありません。藤田さんがコツコツと開発を進めてきたことで、地味ですが難易度の高い技術を開発できたと感じています。

藤田:水電解装置は危険性が伴うだけに、要素試験を実施する段階に到達させるのも難しい。自分ではわからない安全性の担保のために、社内で身近にいる専門家を捕まえて、「こうした実験をしたいけれど、安全性は大丈夫ですか?」と問い合わせを繰り返しながら、地道にやってきたというのが本当のところです。チーム内はもちろん、チーム外の研究者も巻き込みながら研究できたことが、大きな成果につながりました。感謝です(笑)。

リスクのある試験に立ち向かう緊張感と達成感
藤田:複数の素材を組み合わせた絶縁配管の開発には成功しましたが、私たちは元々が素材の専門家ではありませんから、苦労は多かったです。文献調査から始め、素材の専門家に相談しながら研究を進めました。当初は要求を満たす素材を探してもらったのですが、それは難しいことがわかり、素材を組み合わせる方向にシフトしたのは先ほど申し上げた通りです。
それでも、耐食性に優れたHDPEと耐圧性に優れたGFRPとの接着が難しいことや、配管に圧力がかかると膨張するため継手が取れてしまうリスクがあることなど、課題は少なくありませんでした。周囲の専門家から意見をもらいながら、どのような接着方法や機械的な構造が適しているかを検証していきました。

専門ではない分野からのスタートでしたが、個人的には楽しんで研究に取り組めています。学生時代から今に至るまで、超電導や変圧器、MRIなどテーマは変わってきている中で、そのたびに新しい発見や知識との出会いがありました。水電解装置の高電圧への対応も楽しい研究です。一方で、水電解装置の配管に10 kVの電圧をかけて特性や制御性を確認する試験には、危険が伴います。試験に失敗すると、水素爆発につながりかねないのです。そのため、必ず成功するという見通しが立ってから試験に臨んでいますが、前日は一睡もできませんでした。ですから、きちんと性能が出たときには、数年間取り組んできた研究成果が得られたという達成感と同時に、正直ホッとした、というところです。
杉政:ほんとうにうまくいって良かったと思っています。絶縁試験を実施した実証機の製作にも藤田さんが大きく貢献しています。水電解装置を格納するコンテナは、本来、研究所で作るような代物ではありませんが、周囲の研究者を巻き込んで、大変な苦労をしながらリスクの高い試験の成功に導いてくれたと思いますし、日立社内でも水素の研究の1つの集大成だと感じています。


高電圧水電解が切り拓く次の選択肢
藤田:絶縁配管ができたことで、高電圧の水電解装置の開発ステップが一段階進みました。次は、高電圧で水素スタックを動かし、水素製造ができることを実証したいと思います。高電圧で水素製造システムを稼働させることを世の中に示せれば、水素を必要とするお客さまに新しい選択肢を提供できます。そうすれば100MW級水素製造システムの社会実装が始まる2030年以降に水素が世の中に受け入れられやすくなり、2050年のネットゼロに貢献できるはずです。
杉政:開発プロジェクトとしては、頑張ってここまで到達しました。将来的には研究所や日立の枠を超えて、多くのパートナーや企業とコラボレーションして100MW級の水素製造システムを実現していきたいです。お客さまが使いやすい水電解装置を作ることが、社会貢献と日立のビジネスにつながっていくと信じています。
高電圧の水電解装置は、十分に実現可能性があると考えています。今回は市販の水素スタックを購入して、水素製造システムのコンテナを作って絶縁環境が得られることを実証しました。私たち自身で検討を進めることで、高電圧の水電解装置というコンセプトが絵に描いた餅ではないことを社内外に示せたと確信しています。

藤田晋士(Shinji FUJITA)
日立製作所 研究開発グループ Next Research
水素バリューチェーンプロジェクト 主任研究員
まだ見ぬ世界を切り拓く姿が研究者に重なる
司馬遼太郎の「坂の上の雲」(文春文庫)をお勧めします。明治維新後に急速に近代化していく日本の中で、坂の上の雲という高みを信じて未来を切り拓いていった3人の姿を描いたものです。日露戦争を勝利に導いた秋山好古・真之兄弟。俳句改革に命をかけた正岡子規が、まだ見ぬ世界に向けて学びながら未来を切り拓くところが印象的です。まだ見ぬ技術を切り拓く研究者の世界にも近いと感じます。長大な書籍で、学生時代に読み始めて挫折していたのですが、日立に入社後、改めて大先輩に勧められたことをきっかけに通読することができました。

杉政昌俊(Masatoshi SUGIMASA)
日立製作所 研究開発グループ Sustainability Innovation R&D
環境・エネルギーネクサスイノベーションセンタ 環境システム研究部 主任研究員
世界の視点の多様性を中学生の胸に刻んだ一冊
個人的にはSFやファンタジーが大好きですが、ここでは「よい戦争」(スタッズ・ターケル著、晶文社)を紹介します。米国のジャーナリストが第二次世界大戦について、さまざまな立場や階層の人に尋ねたインタビュー集です。持って歩くのがいやになるぐらい分厚い本ですが、世の中がどのように作られているかが端的にわかり、面白く深い内容に圧倒されます。中学生だった30年以上前に読んでものすごいインパクトを受けました。今も時々読み返していますし、ぜひ10代のうちに読んで世の中について知ってもらいたいと思います。

(撮影:服部 希代野)
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