イムノクロマトグラフィ法*1による抗原検査キットは抗原を簡便かつ迅速に検出できる。抗原の数が少ない場合でも走査電子顕微鏡(以下SEM: Scanning Electron Microscope)を用いれば、抗原に結合した金属マーカー粒子を直接観測できるため高感度な検査が可能にはなる。しかし、この方法には煩雑な作業や時間を要するという課題がある。ここで、SEMの原理とアプリケーションを研究開発する日立製作所 研究開発グループの2人が「卓上型SEMを用いた抗原検査の高感度化システム」を開発した。これにより、画像処理によって、SEMによる撮像位置を自動で認識し、判定ライン上の金属マーカー粒子数とバックグラウンドノイズと見なす判定ライン外の金属マーカー粒子数を統計的に比較評価できる。手動操作は排除され、検査時間が短縮し、かつ安定性を向上させた高感度な抗原検査が可能となった。本システムは抗原検査に限らず幅広い分野への応用が期待できるという特徴も併せ持つ。丹藤 匠リーダ主任研究員、三羽 貴文主任研究員に開発の経緯や将来性を聞いた。
*1 イムノクロマトグラフィ法:検出対象の抗原を検出するための技術であり、抗原検査キットに利用されています。この方法では、抗原とともに抗体付きマーカー粒子を、抗体で修飾された検査ラインに吸着させます。採取した試料中に対象とした抗原が含まれる場合はマーカー粒子が検査ラインの色を変化させるため、色の変化から試料中に抗原が含まれるかどうかを判定できます。
日立の幅広い事業領域に魅力を感じて入社した
三羽:大学では物理工学を専攻し、有機半導体デバイスに関する材料や無機半導体の結晶成長に関する研究をしました。作製したものを観察あるいは測定することが必要だと思っていて、就職活動中に聞いた日立の研究内容、中でもSEMが面白そうだと思いました。また、日立は事業領域が幅広く、いろんなものに携わることができそうと感じ、修士課程修了後、2010年に入社しました。
以来、現在に至るまでSEMに関する研究開発を担当しています。最初は、例えば電子が試料と当たって出てくる二次電子や反射電子の発生を物理的に捉え、それらの電子によって形成される画像を解釈するといった研究をしていました。その後、バイオ向けのアプリケーションに関する仕事、半導体向けに特化した信頼性の高いSEMの開発にも携わりました。
例えば、試料の機械的・電気的な物性を測定できるプローブ顕微鏡などSEM以外の顕微鏡技術も活用しながら、同僚からもらった試料を測定するなど、新しい知見を積み上げたい、何年か先を見据えて自分が関われる範囲を広げたい、と活動してきました。その中で同じ部署の丹藤さんにお声掛けいただいたのが今回ご紹介する技術につながりました。
丹藤:大学院まで機械工学を専攻し、半導体ウェーハなどを搬送するステージ機構をナノメートルオーダーで精密に位置決めする研究に取り組み、自分の興味で熱機関も研究していました。日立を選んだのはやはり事業の範囲が広く、いろいろ掛け合わせると新しく楽しそうなことができるのではないかという期待があったからです。新しい技術や製品、サービスをどんどん作りたいなと思っていました。入社してからは、半導体製造分野のプラズマエッチング(微細加工)装置の研究開発などを担当しました。それ以外の時間に自由に興味を持ったサブテーマにも取り組み、それが今回の技術に結びつきました。
浜松医科大学の研究者との共同研究でSEMを用いる抗原検査を自動化
丹藤:この研究開発は、半導体の微細加工形状の観察のためにSEMを使っていて、ナノメートルオーダーの物を見られるなら、ウイルスも見られるんじゃないかと考えたことが発端です。2016年頃、(自分の)子どもがインフルエンザにかかったときに思いつき、その後、2017年に日立ハイテクが新型の卓上型SEMを発売した際に、これを使って簡単・迅速に検査できないかな、と考えたわけです。既存の抗原検査キットではウイルスが体内で増えてからでないと検出できないため、患者さんが発熱して苦しいと病院に来ても、発熱から一定時間が経っていないと一旦帰ってくださいといわれることもあります。体温計で体温を測るぐらいに簡単にウイルスの検査ができたら、便利ですよね。三羽さんならこの研究の面白さがわかるはず、と考え、声をかけてみたら、案の定、乗ってくれたわけです(笑)。三羽さんが管理する装置で同僚たちが使っていない時間に、手に入った試料で実験を始めました。2017年ですから、当然、新型コロナウイルス感染症の流行より随分前になる、ということですね。
三羽:丹藤さんはイノベーティブにいろんな仕掛けをするタイプで、面識のない研究者にメールして、どんどんやってみよう、みたいなフットワークの軽さに最初はびっくりしました。自分もこうありたいと思います。技術開発については先生でもあり、一緒にやるメンバーでもあり。楽しくフラットにいろいろな議論に付き合っていただいています。つらいところも一緒に乗り越えてきて、いい経験をさせてもらっています。
丹藤:検討を始めるにあたり、まず世の中で同じような研究をしている研究者はいないかと2人で論文を一生懸命探したら、浜松医科大学の河崎先生がSEMでウイルスを見る研究をしていらっしゃることがわかりました。ダイレクトメールで連絡をして、SEMを使ってウイルスを簡単にかつ高精度に検査するにはどうすればいいでしょうと相談に行きました。
三羽:河崎先生と何度もお話しするうちに、共同研究につながりました。河崎先生がSEMによる画像を見せてくださったときにはとても感動したことを覚えています。
通常の抗原検査では、判定ラインが着色していることを人の目で確認して感染していると判定します。しかし、試料に含まれるウイルスの量が少ないときには色の変化がわからない場合があります。これが抗原検査の精度が落ちる理由です。河崎先生らはSEMが画像化のために照射する電子が、ウイルスが結合した抗体修飾金属マーカー粒子に当たって出てくる反射電子に基づく画像から感染の有無を判定する方法を創出されました。これによって、ウイルスの量が少なくても感染していることがわかります。
これは基本的に河崎先生の成果ですが、もう少し詳しく説明させていただきますね。
抗原検査キットには、調べたいウイルスに対応する抗体を表面に付けた(修飾した)マーカー粒子が入っています。鼻の奥から拭った液等を抽出液に入れたものを試料として抗原検査キットに滴下すると、ウイルスが含まれている場合には、ウイルスが抗体に結合してマーカー粒子とともに判定ライン付近で吸着され、それによって判定ラインが着色しますが(陽性)、ウイルスが含まれていない場合には、抗体修飾マーカー粒子だけが流れて、コントロールラインだけに色が着く、ということになります(陰性)。
ウイルスの量が多い場合、判定ラインの部分で表面の抗体にウイルスが結合したマーカー粒子が多くトラップされ、判定ラインが発色して視認できますが、ウイルスの量が少ないとき、色の変化を見逃す可能性(偽陰性)があるのですね。
下の図では、SEMによって抗原検査キット中の金属のマーカー粒子を検出するための原理をご説明します。電子を試料に照射し、出てくる電子(反射電子)をもとに画像化しています(左写真)。SEMの画像の明るさは反射電子の数で決まります。金属マーカー粒子から出てくる反射電子は量が多いため画像中では輝点として観測され、基板となるカーボン材料や空隙から出る反射電子は少ないため画像中では相対的に暗い領域になります(右図)。
河崎先生は、実際の新型コロナウイルス感染の疑いがある患者の検体で既存の抗原検査と比較し、この新しい検出技術では500倍から1000倍ぐらいの感度になり、PCR検査の感度に匹敵すると報告しています。
https://www.hama-med.ac.jp/mt_files/d9e7aedb1eff0560332a15af3cf8231e.pdf
https://www.mdpi.com/2227-9059/10/2/447
とはいえ、河崎先生たちは卓上型SEMの画像1つ1つを目で見ながら粒子数をカウントされていました。また、試料をSEMに入れてからの撮像にも手間や時間がかかります。それで、私たちが画像取得、粒子の数の計測、評価結果の出力までを自動化するシステムの原理検証ソフトを作成させていただいた、というわけです。
SEMの中では試料の載ったステージを動かしては撮影することを繰り返し、高精度に画像を取得します。このとき、抗原検査キットの撮像位置も自動認識し、バックグラウンドとして判定ライン外の金属マーカー粒子の数と、判定ラインの金属マーカー粒子の数の統計的有意差の有無も計算します。これによってノイズとシグナルを分け、抗原検査キット内を試料がちゃんと流れて、ウイルス検出ができているかを確認できます。
SEMは撮像時間を短くすればするほどの画質が悪くなり、ノイズとシグナルの区別がしにくくなります。しかし、検査フローを考えると、できるだけ検査時間は短くしたい。より短い時間で取得した画像から正確に粒子が検出できるかにチャレンジした、ということですね。自動で、かつ同じアルゴリズムで検査することで、人間の目で見て粒子を検出する場合に比べてばらつきがなく、検出精度100%は難しいとしても、安定的に検出できます。1試料あたり5分から15分以下で判定できるのではないかと見込んでいます。
2022年の河崎先生たちの報告では、判定ライン6か所、バックグラウンドノイズ6か所の計12か所の画像の取得と解析を手動で行っています。自動化したソフトを利用した検証実験では、同じプロトコルでも画像取得の時間が大幅に短くなり、解析も均一化できたのではないかと思います。
専門外の領域でも予算なしでも研究開発を続けたかった
丹藤:私たちはウイルスなどバイオ領域の検査に関する開発はもちろん素人ですから、会社から事業化を期待されていたわけではありません。当初、いくらかの研究用調査費を期間限定で使えましたが、期限が終わってからは研究予算なし、手弁当になりました。
三羽:SEMで観察するとき試料を設置する試料室を真空排気する必要があり、水を含むバイオ系材料と相性があまりよくないため、検討内容の推進に疑問を持つ人がいるのは理解できました。私も他の人が同じことをいったら、そう思ったでしょうね。
丹藤:すでに既存の抗原検査があり、さらに途中からコロナ禍でPCR検査が広がっていった、ということもあり、2人とも本務はきちんとやりながら、水面下で本テーマの研究開発を進めていきました。2020年に浜松医科大学での実証実験開始というプレスリリースが出て、あきらめずに積み上げてきたものをやっと公表できました。河崎先生も喜んでくださって、私もなんとかここまで来た、とうれしかったですね。
三羽:私はSEMの観察条件を最適化して、見たいものを上手く抽出するのは得意ですが、画像解析や手順の自動化に関する技術検討の経験は当時ありませんでした。数ある技術の中からどれを選ぶべきか、アルゴリズムとして何がいいのか、いろんなトレードオフを考えながらプログラミングするのに時間がかかりました。今ならChatGPTに聞けば、ある程度絞り込めるでしょうけれど。自分で学んで培った画像解析技術が、今、他の試料の観察や自動解析の研究につながっています。
丹藤:今後、この検出方法の自動化がより進んで、さらに簡便になると健康チェッカーとして使えるのではないかと期待しています。
三羽:既存の抗原検査は、残留農薬、貝毒、牛の口蹄疫の検査など幅広く使われていて、SEMを掛け算することで追加検査としても使える可能性があると考えています。試料、装置、アプリケーションをバランスよくわかっているからこそ、多方面に安定的な検査データの提供ができそうです。やってみないとわかりませんが、ビジネス面を考えながら、応用先を検討していきたいですね。
三羽貴文(Takafumi MIWA)主任研究員
日立製作所 研究開発グループ
デジタルサービス研究統括本部
計測インテグレーションイノベーションセンタ
ナノプロセス研究部
企業研究者としての自分を振り返って共感できる
丹藤さんから紹介していただいた『エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』 (吉田満梨、中村龍太 著、2023年、ダイヤモンド社)は、紹介されている考え方に共感できましたし、実際、企業研究者としての自分を振り返ってみると、本に書いてある通りにうまくやれていた部分や足りていない部分があるなと感じます。研究者の方にも、これから事業を起こしたい方にもおすすめです。
丹藤 匠(Takumi TANDOU)リーダ主任研究員
日立製作所 研究開発グループ
デジタルサービス研究統括本部
デザインセンタ 社会課題協創研究部
自分たちのことを指しているように感じた元気が出る本
『Dark Horse(ダークホース) 「好きなことだけで生きる人」が成功する時代』(トッド・ローズ、オギ・オーガス 著、大浦 千鶴子 翻訳、伊藤洋一 解説、2021年、三笠書房)は、一般的に成功するためにはこういう道を辿らなければいけないっていうのは無視して、自分自身が楽しい、興味ある方に向かう(充足感を追い求める)、チャンスを待つだけではなくて歩き回りながら、そういうところに飛びついていく人が思いもよらない結果を出すという内容です。我々の今回の取り組みもそういうところがあります。これからもダークホースのように型破りな成功をめざしていきたいです。