ゼロカーボンを実現した未来のまちをデザインする
――AI活用がもたらした意見交換の場の価値
帯広市は日立製作所(以下、日立)と共同で、「2050年の脱炭素社会実現に向けた未来シナリオ作成」の実証実験を実施しました。日立が開発したAIシミュレーション技術を利用し、脱炭素シナリオを複数提示した中で、帯広市としての進むべき方向性を考えるプロジェクトです。帯広市でこの実証実験を主導した同市環境課の清水大椰さん、地元学生の立場で参加した帯広畜産大学の高瀬彩音さん、そして技術指導を担当した日立の研究開発グループ・森本由起子主任研究員、池ヶ谷和宏主任デザイナーの4人が、このプロジェクトで得られた知見や成果、さらに今後の方向性について語ります。
帯広市のゼロカーボンシティ実現の次の一手を考える
帯広市環境課 清水大椰さん:帯広市は2022年6月に、「2050年ゼロカーボン」の実現をめざすゼロカーボンシティを表明しました*。二酸化炭素の排出量実質ゼロ(カーボンニュートラル)をめざし、市民や事業者などが一丸となって取り組みます。環境課の業務の1つにゼロカーボンの推進があり、私はゼロカーボンの実現をどのように進めるかの計画を立てる業務に携わっています。2023年度に計画を策定し、2024年度から具体的な取り組みを推進します。そうした中で、帯広市と日立は新たな協創の形として「2050年の脱炭素社会実現に向けた未来シナリオ作成」の取り組みを実施しました。
*帯広市によるゼロカーボンシティ表明について:https://www.city.obihiro.hokkaido.jp/kurashi/kankyo/1012626/index.html
日立製作所 研究開発グループ 主任デザイナー 池ヶ谷和宏:日立は全社を挙げて環境問題や脱炭素への取り組みを推進していますが、その1つが脱炭素を実現するためのシナリオをAIが分析する「脱炭素シナリオシミュレーター」です。技術的なベースになったのは、日立京大ラボが開発した政策提言AIシミュレーターで、望ましい社会に向かうために2万通りのシナリオを解析できるものです。この技術を脱炭素の取り組みに適用し、約300の社会要因の因果関係モデルを構築して、2050年までの約2万通りの未来シナリオを解析します。そこから脱炭素シナリオとして6つの代表的なシナリオに分類しました。
日立製作所 研究開発グループ 主任研究員 森本由起子:脱炭素シナリオシミュレーターでシミュレーションすると、「今のままだとこんな未来しかないよ」「こういう判断をしないとこちらのシナリオに進めないよ」という分岐のポイントが見えてきます。従来の政策提言AIシミュレーターでは数字でしか結果が表されていなかったのですが、脱炭素シナリオシミュレーターではシナリオや分岐点をグラフィカルに表現して、わかりやすくするようにしました。Webアプリとして作り込み、誰でも使えるようにしたこともポイントです。
帯広畜産大学 高瀬彩音さん:私は帯広畜産大学の4年生で、食品科学ユニットで日本酒に関する研究をしています。帯広畜産大学には全国から学生が集まりますが、私自身は帯広出身です。学外では、札幌で行われる「YOSAKOIソーラン祭り」に出場する帯広のYOSAKOIサークルに所属しています。社会人を中心としたチームで、農家の方が代表ですが、大学生もたくさん参加しています。このサークルでは帯広市に貢献するために清掃活動のボランティアも行っていて、そこで帯広市の脱炭素の取り組みとのご縁が生まれました。
「これ以上何をしたらいいのだろう」からのAI活用
清水さん:帯広市は温室効果ガス削減については、環境モデル都市としての取り組みを進めていました。豊富なバイオマスの活用、太陽光発電の普及などの手を打ってきていたところ、国全体がゼロカーボンに舵を切ったことをきっかけに、帯広市もゼロカーボンシティを表明しました。すなわちこれまで以上の取り組みが必要になったわけです。帯広市の温室効果ガスの排出状況としては家庭部門と運輸部門からの排出量が多い、という傾向があることはわかっていましたが、さらに高い目標に対応していくには既存のバイオマスや太陽光の活用の延長線上では到達できるものではないと感じ、これ以上何をしたらいいんだろう、と悩んでいたのです。
池ヶ谷:脱炭素シナリオシミュレーターは、2021年11月に英国グラスゴーで開催されたCOP26(第26 回気候変動枠組条約締約国会議)でプロトタイプを展示し、各国の参加者から好評を得ていました。その後、実際の活用先を検討していたところ、北海道庁や日立北大ラボを経由して北海道で試してみないかという話があり、帯広市と石狩市に実証実験を共同で実施するお声掛けをさせていただくことになったんです。そこで清水さんと出会った、というわけです。
清水さん:ですね。「AIを使った脱炭素シナリオシミュレーターの取り組み」について、日立さんから実にいいタイミングでお話をお聞きしたわけです。「複数回のワークショップによる議論とAIが分析したシナリオの活用で、脱炭素を実現する未来へのロードマップを立案する」がどのようなものかよくわからなかったので、最初は、AIがシナリオを作るといっても、信ぴょう性などに疑問を感じていたのも事実です。一方で、ゼロカーボンシティ実現に向けて次の一手に悩んでいたこともあり、参考やアイデア出しに使えればいいかなという気持ちもありました。まだChatGPTが話題になる前のことで当時はAIの効能はよくわかりませんでしたが、やってみて何かプラスが得られるだけでも良いと考え実証実験に参加することにしました。
高瀬さん:YOSAKOIサークルの広報班のメンバーとして、清掃のボランティアの会議を帯広市役所の方としていたときに、AIを使って未来の帯広に向けたロードマップを作る取り組みがあることを聞きました。参加してみないかとのお誘いがあり、正直なところなんだかよくわからないけれど面白そうと思い、参加することにしました。
清水さん:実証実験の取り組みは4回のワークショップで成り立っています。帯広市の複数の部局の担当者と、高瀬さんをはじめとした帯広畜産大学の学生さんの、合計10数人ほどがワークショップに参加しました。最初は、ワークショップに参加するメンバーが意見を出したら、AIがいい感じにシナリオを作ってくれるのだろうと思っていました。
森本:ワークショップの1回目は、帯広市の課題として議論する指標を洗い出しました。指標は300にも上り、それぞれの関係性を参加者で考えていきました。2回目は、指標ごとの因果関係の詳細を議論し、シミュレーションのための因果関係モデルを作成していきました。自治体固有の問題などもここで整理されました。次に、作成した因果関係モデルをAIによってシミュレーションし、2050年までの23通りのシナリオを導き出します。3回目のワークショップで、ようやくAIの結果をお見せしたということになりますね。
池ヶ谷:特に1回目と2回目のワークショップは「問い」をデザインするフェーズです。すぐにAIの結果は出てこないということをもっと明確にお伝えしておけばよかったかもしれませんね。
高瀬さん:最初は、ゼロカーボンシティもAIも知識がまったくなかったのですが、市民代表としてまちづくりに対して思っていることをストレートに言おうということで精一杯取り組みました。周囲の方がいろいろ教えてくれて、ワークショップを重ねるうちに、ゼロカーボンは日本を良くするために大切なことで、AIも人口減少社会などで活用が不可欠なものだとだんだんわかっていきました。
清水さん:今回の実証実験では、実際にはAIはワークショップのサポート的な立ち位置にあります。そういう意味では、当初思い描いていたように「AIがいい感じにシナリオを作ってくれる」のではなく、AIは人間がより良い未来のためにシナリオを作り出していくための脇役なのです。ワークショップは、環境課以外の(市役所の)メンバーの考え方も知る機会になったので俄然面白くなってきましたね(笑)。当初は漠然と脱炭素の取り組みのアイデアを求めているだけだったのですが、ワークショップを進めて行くと、私自身が具体的なロードマップを描けるかも、と思えるようになってくるのです。
議論した指標の因果関係からAIがシナリオを導出
高瀬さん:私が提案した指標で最後まで残ったものが「道路インフラ」でした。大学に通うときも自動車を運転しますし、子どものころから暮らしている街なので、帯広市は道路の整備状況が良くないのでは?という生活実感からの発言でした。
池ヶ谷:高瀬さんと同じグループで議論していて、環境・脱炭素の未来予測について「道路インフラ」の視点は新しいと皆が感じていました。AIは視点を与えることはありません。道路は、運輸や自家用の移動の自動車、公共交通のためにも、将来の自動運転のためにも大切なインフラです。高瀬さんは、道路インフラの整備が脱炭素と関連づくという視点をもたらしてくれました。
森本:ワークショップの参加者は市職員など社会人が大多数です。自動車は運転しても、歩行者の視点は見落としがちです。議論で出てきた「高齢者にとって、凸凹している道路は歩きにくい」といった意見は貴重でした。道路の話題はワークショップでさらに広がり、観光客を呼ぶときの利便性確保や、都市部から離れた高齢者の移動など、多くの議論につながりました。道路を整備してもガソリン車を多く使うとCO2削減にはつながらないなど、話が広がるきっかけになりました。
清水さん:議論の中で課題が整理されていき、それも自分にはない視点から整理されていく体験ができました。ゼロカーボン実現に向けた取り組みはいろいろな分野にまたがります。一方で環境課の仕事として取り組んでいた私は環境分野しか見ていなかったと感じさせられました。そういう意味でも高瀬さんの道路の視点は印象的でしたね。
森本:3回目でAIが解析したシナリオを提示しました。脱炭素シナリオシミュレーターでは2050年の到達点として6つのシナリオの大きなグループにまとめ、それぞれを色分けしました。シナリオの線が束になったようなものに、色付けをしてシナリオのグループにわけ、それぞれのシナリオの分岐点を時間を遡って辿れるようにしたものです。
清水さん:実際のところ、AIが作ったシナリオは無数の線が束になっていて、これは何だろうというのが第一印象でした。6つのシナリオがそれぞれこういう社会を示しているのでは?ということを議論して、紐解いていきました。3回目は難しかったです(笑)。
森本:「みなさんデータサイエンティストになってください」とお願いし、一生懸命シナリオを読み解いてもらいました。日立のAIは6つのシナリオを提示したのですが、それぞれのシナリオの意味を画面のシミュレーション結果を皆で囲んで見ながら、実際は紙とペンも使って議論して、最終的に2つのシナリオに絞り込みました。
未来のまちの姿をイメージしたロードマップを選ぶ
清水さん:6つのシナリオは、それぞれの指標ごとに2050年までに状況が「良くなるのか」「悪くなるのか」で色分けされています。「環境面では良くなる半面、経済が悪くなる」など、シナリオごとの特徴を色分けから読み解き、シナリオに一言タイトルをつけていきました。それぞれのシナリオで指標ごとのトレードオフの結果がかなり示されました。そこで、帯広がゼロカーボンを達成するにはどうすればいいかだけでなく、帯広市を含む十勝地方全体が良くなる結果も意識して考えないといけないという気づきにもつながりました。どのシナリオも大切なものであり、優先度をつけるのは大変でした。
森本さん:4回目では、2つのシナリオから、最終的なロードマップに落とし込んでいく作業をしました。2つには分岐点があり、そこでは分岐を決定づける指標がAIにより示されています。指標に対する施策を続けていくと、いずれかの未来につながっていくことを実感しながら、ワークショップのメンバーが自分たちのまちの行き先を考えてもらいました。
高瀬さん:1つのシナリオは、帯広の本来の良さを生かしていると感じました。一方でもう1つは外国人を誘致して活性化するなど、少し挑戦的なシナリオでした。私は帯広が好きなので、新しいまちを作るのではなく、良いところを伸ばしていく前者のシナリオがいいと思いました。もちろん、後者の挑戦的なシナリオに賛同される方もいて、議論をしました。最終的な投票を経て前者が選ばれることになりました。
清水さん:皆さんそれぞれの立場から考えて、意見を出してもらって最終案を決めました。帯広らしさを大事にしていきたいという意見が多かったですね。実際これは参加している人の価値観に左右される部分でもあるんですね。ゼロカーボンを実現するためには、技術革新など先進的な取り組みも増えています。しかし、ワークショップで意見交換する中で、そうした先進性も大切だけれど、なによりも帯広らしさが大事だという意見が集約できました。地域らしさを伸ばすような取り組みを増やすことが必要だと感じ、ゼロカーボンの計画を進める上でもその考えを大事にしています。
高瀬さん:脱炭素シナリオシミュレーターのワークショップに参加して良かったな、と実感したのは、帯広の良さや十勝の様々な魅力が再発見できたことですね。地元がますます好きになったと感じています。その上で、ゼロカーボンに向けて1人ひとりの意識を変えていくことも大事だと感じ、自動車のアクセルを踏みすぎないようにするなど小さな取り組みも始めています。
清水さん:ゼロカーボン、脱炭素をめざしていくことは、国も北海道も、帯広市でも追求しています。ただ、私が当初そうだったように、何から手をつければいいかわからない自治体はすごく多いでしょう。今、何をするかはもちろん大切ですが、それだけでなく、将来の社会につながることなので、どんな社会をめざすのかを意見交換して意識合わせをしていくことがとても大事だと他の自治体の方にもお伝えしたいです。脱炭素シナリオシミュレーターを使った未来シナリオの解析とロードマップ案の作成は、地域の中で多様な人が意見交換する場を作るという意味でも大きな効果を感じています。異なる意見を持つ人、共通の取り組みを考えている人、様々な人とつながり未来シナリオを考えるきっかけになることが、脱炭素シナリオシミュレーターを活用するもう一つの大きな価値、と言えるかもしれません。