生命を脅かす血流感染症の治療には抗菌薬が欠かせない。一方で、抗菌薬の過剰使用で、世界では薬剤耐性菌の蔓延が社会課題となっている。現在では限られた情報と医師の経験に頼っている血流感染症の抗菌薬の選択を、日立の遺伝子検査技術で支援したい。そんな思いで新しい検査システムを開発する、研究開発グループ デジタルサービス研究統括本部 ヘルスケアイノベーションセンタ バイオシステム研究部の柳川善光リーダ主任研究員と清水沙彩氏に研究の進捗や目標を聞く
幅広い研究領域、多様なバックグラウンドを持つ研究者仲間が日立の魅力
柳川:大学時代は電子工学を専攻して、電子回路の研究をしていました。修士課程から博士課程の5年間、宇宙航空研究開発機構(JAXA)で人工衛星用の信頼性の高い回路について研究していました。人工衛星の打ち上げにも携わりました。人工衛星は自分が卒業した後も何年も飛び続けます。最先端の技術で長い間形に残るようなモノづくりをしたいと考えていたところ、先輩達から民間企業で大規模な研究所を持っているのは日立だと聞き、入社しました。
入社してからは半導体メモリの一種であるDRAM(Dynamic Random Access Memory)の開発を担当しました。7年ほど前にバイオシステム研究部に異動して遺伝子検査技術を開発しています。時代によって事業環境も変わる中で、半導体からバイオシステムまで多様な領域があり、別の領域に移っても自分のスキルを生かせるのが日立の特徴だと思います。
清水:大学理学部化学科と大学院修士課程では、生物化学の研究室で学びました。新型コロナウイルス感染症のmRNAワクチンや核酸医薬などにつながる、遺伝子を操作して機能を強化する研究です。日立のインターン募集にバイオ医薬品のモニタリングという研究テーマが出ていて、それがきっかけで日立がバイオ領域も手がけていることを知りました。3週間のインターン参加を経たのちに、改めてバイオ領域の研究をやりたいと考え、2020年に入社して、現在4年目です。入社を決めた理由でもあるのですが、さまざまなバックグランドを持つプロフェッショナルな人が多く、自分も何かのプロになれると思えるのがうれしいところです。
日立の持つ技術を1枚のチップに統合することで血流感染症の原因菌の迅速な同定が可能になるはず
柳川:バイオシステム研究部は、主にヒトを対象とする計測技術を開発しています。ライフサイエンス研究向けの遺伝子検査装置や、医療機関向けの血液検査装置などです。このうち遺伝子検査技術を何か新しい領域に応用できないかということで、4年前から血流感染症の原因菌の迅速な同定法の開発に取り組み始めました。菌を原因とする血流感染症の治療には抗菌薬が使われます。第二次世界大戦中の1942年に世界初の抗菌薬であるペニシリンが実用化されて、肺炎による死者が激減しました。その後、さまざまな抗菌薬が開発され、世界中で使われるようになりました。
一方で、抗菌薬が繰り返し、あるいは長期間使われることで、その抗菌薬に抵抗性を持つ細菌が現れました。この抗菌薬が効かない薬剤耐性菌は大きな問題になっています。薬剤耐性菌に感染すると、効く抗菌薬での治療が困難になります。昨今の新型コロナウイルスによるパンデミックの裏では、薬剤耐性菌による脅威が増しており、こちらはサイレント・パンデミックと言われています。2050年には世界で年間1000万人が薬剤耐性菌に感染して死亡すると予測されています。1
2021年に新型コロナウイルス感染症で亡くなった人が360万人と言われているので、この数は非常に多いことがわかります。
清水:血流感染症では、抗菌薬の投与が1時間遅れると生存率が7.6%低下するというデータがあります。一刻も速く抗菌薬の投与を開始しなければならないのです。投与にあたっては、菌の種類などに応じて適切な抗菌薬を選択する必要があります。しかし、現在では血流感染症の原因菌をすぐに調べることができません。なぜなら、血液の中にいる菌が極めて微量であり、そのままでは検出できないからです。現状では培養して菌を増やしてから検査をしており、トータルで3日間以上を要しています。そのため、医師は「経験的治療」を行います。
「経験的治療」とは、医師が患者の年齢や持病、感染した状況の推定、抗菌薬の使用歴、疑わしい感染臓器、施設や地域などでの流行状況をふまえ、感染している可能性のある細菌を推定して抗菌薬を処方するというものです。このときには、原因となっている可能性のある菌をしっかりとカバーできるように、幅広く効く抗菌薬が選択されます。一方で、こうした幅広く作用する抗菌薬は、原因菌以外の菌にも悪影響を及ぼし、結果として薬剤耐性菌の出現を招く恐れがあります。もし、迅速な検査により、最初の抗菌薬投与までに原因菌が判明していれば、それに合わせて最小限の抗菌薬のみを処方可能となり、薬剤耐性菌の抑制にも貢献できるのではと考えています。
柳川:そこで、我々が持つ技術を応用して、血流感染症の原因菌の迅速同定法を開発することになりました。私たちは「経験的治療」開始の目安となる1時間程度で迅速に原因菌を調べられる検査装置の開発を進めています。
先ほど清水さんが説明したように、血流感染症の原因菌は現在は培養によって同定されており時間を要しますが、私たちの検査装置は、細菌そのものではなく、細菌の遺伝子を増やすため、培養を必要としません。血液サンプルから45分ほどで細菌のDNAを抽出し、増幅し、1本鎖化して、検出するというものです(下図)。さまざまな技術をマイクロ流体デバイス(流路チップ、µ-TASとも呼ばれる)にひとまとめにして、そこに血液サンプルを投入することで、1枚のデバイス上で、検出に必要なプロセスを実行します。
清水:細菌のDNA抽出、増幅、1本鎖化、検出の方法は、それぞれいくつかの方法を比較検討し、選定しました。
DNA増幅では、サンプル液の温度の上げ下げを30~40回繰り返し行う必要があります。
そこで2つのヒーターを用いてデバイス上に高温領域と低温領域を設け、その領域間でサンプル液を往復させる方式を採用しました。こうすることでサンプル液の温度が迅速に変化し、通常数十分かかるDNA増幅反応を約8分で完了することができました。
増幅されたDNAは2本の紐がくっ付いたような状態(2本鎖)なのですが、検出しやすくするためには1本鎖にする必要があります。1本鎖化の方法として、反応時間が短く、効率がよい酵素分解法を選びました。
DNAはビーズアレイで検出します。あらかじめ遺伝子検出用ビーズに検出したい細菌のDNAの1本鎖(プローブDNA)をつけておきます。血液サンプルから抽出して増幅し、1本鎖にした当該細菌のDNAが結合すれば、その細菌DNAの先端の蛍光タグが光り、その細菌が含まれていることを示します。遺伝子検出用ビーズを並べたビーズアレイでは各ビーズの周辺で乱流が発生することがわかり、1本鎖DNAの結合時間を短くできました。実験では、細菌DNAを100コピーまで抽出できれば、増幅・検出を14分でできるようになりました。
柳川:ここまで来るのには、菌から抽出した貴重なDNAが流路の壁面に吸着されて失われたり、送液がうまくいかないなどのさまざまなトラブルがありました。私の専門である電子回路の分野はシミュレーション技術が確立されており、狙い通りに動作することが多いのですが、DNAのような生体試料を扱うバイオ分野ではそうはいきません。研究所の同僚や先輩にはバイオの専門家も多いので、困ったときにはそうした方々にも相談し、一緒にトラブルを乗り越えてきました。
清水:私はバイオ分野の実験は慣れているのですが、流路を設計する経験はそれまでありませんでした。でも今ではコンピュータ支援設計(CAD)を使っておおまかにデザインできるようになりました。CADに詳しい同僚に質問できますし、電気を使うところは柳川さんに見ていただけます。大学の研究室では同じ分野のエキスパートしかいないので、こういう新しいデバイスの設計は日立の研究所ならでは、ですね。
柳川:今後、40種類くらいの細菌を調べられるようにしたいと考えています。血流感染症の原因菌の同定は世界的なニーズがあるため、競争も始まっています。実際に臨床に使えるかどうか、血流感染症に立ち向かう医師や検査技師の方達にヒヤリングしているところです。臨床現場では抗菌薬の処方が重要で、しかも時間単位で致死率が上がるわけですから、細菌がいるのに検出されない(=感度が低い)、検出された細菌が実際にはいない(=特異度が低い)といったことはなるべく避けなければなりません。検査装置が臨床検査室に設置できる大きさに収まるようにすることも重要です。まずはこのデバイスを完成させること、そして、臨床現場で使える精度にすることをめざします。
1出典:JIMO’ NEILL et al., Tackling Drug-resistant Infections Globally (2016)
柳川善光(Yoshimitsu YANAGAWA)
日立製作所 研究開発グループ
デジタルサービス研究統括本部
ヘルスケアイノベーションセンタ
バイオシステム研究部
リーダ主任研究員
振り返れば人生を決めた漫画だった
学習研究社の子ども向けの月刊誌『科学』を愛読していて、『5年の科学』『6年の科学』に連載されていた漫画「ロケットの作り方おしえます」(あさりよしとお著)が大好きでした。この漫画は小学生にも分かることばでロケットのいろはが解説されており、それまではテレビの向こう側の世界だった宇宙開発の現場を身近に感じさせてくれました。この漫画を通じて、「どんな最先端の科学技術も人が作っている。自分が携わった技術が世に出た時って感動的なんだろうなぁ」と子供ながらに学び、また、新しいものを作りだす研究者や技術者に憧れを持ちました。進学や就職で研究者をこころざしたのも、この漫画がスタートだったのかなと今は思っています。
清水沙彩(Saaya SHIMIZU)
日立製作所 研究開発グループ
デジタルサービス研究統括本部
ヘルスケアイノベーションセンタ
バイオシステム研究部
「自分の時間」を習慣化する重要性を教えてもらった
影響を受けたのは、『朝時間が自分に革命をおこす 人生を変えるモーニングメソッド』(ハル・エルロッド著、鹿田昌美訳、大和書房)です。社会人になって仕事に手一杯になって、映画を観るとか本を読むとか、そういう小さなことさえ仕事を言い訳にして何もできずに終わる日々が続き、これではいけないなと感じていたときに、この本に出合いました。朝に意識的にやりたいことに取り組む習慣によって、朝が充実し、1日中気持ちよく過ごせるという内容です。読んでから取りたかった資格の勉強を始め、3ヶ月ほどで資格を取ることができました。今も毎日完璧にできている訳ではないのですが、早起きして仕事以外の自分の時間を確保することで、結果的に仕事にも前向きに取り組めるようになったと思います。