炭素排出量を実質ゼロにするカーボンニュートラルを実現するさまざまな技術の中で、炭素を吸着、貯留するネガティブエミッション技術(NETs)に注目が集まっています。そのネガティブエミッション技術の比較的新しい手法のひとつが、海洋生態系に蓄積される炭素「ブルーカーボン」の活用です。日立製作所(以下、日立)には従来から下水処理場の制御システムを提供してきた実績がありますが、今回、このブルーカーボンを有効活用することで海洋生態系を保全する「下水道ブルーカーボン構想」の実現に向けた活動に取り組んでいます。研究開発グループの隅倉主任研究員とケンネさんに、下水処理水の制御が導くブルーカーボンの世界について、話を聞きました。

学生時代に芽生えたエネルギーや環境への興味関心

隅倉:大学では電力・高電圧分野の研究を選びました。ご存知のように電力やエネルギーは世界的にも紛争の種にもなる影響力があり、何か関わる仕事がしたいと考えていたのです。修士課程で就職活動をする時に、再生可能エネルギー分野の研究ができる企業を探しましたが、当時はまだ再エネという言葉も一般的ではない時代でした。指導教官に相談したところ、今は景気の状況もありまだ環境はビジネスになっていないが、将来的には必ず必要になる技術で、大手重電メーカなら参入するだろうとの見解でした。

画像: 手前からブルーカーボン計測を担当している隅倉さんとアスカリ藤本舞子さん

手前からブルーカーボン計測を担当している隅倉さんとアスカリ藤本舞子さん

日立への就職活動では、大学の先輩に環境関連、将来的には再エネに関わりたいと相談したところ、当時環境関連のテーマを扱う部署はなく、水分野が環境には近いのではないかとの助言もあり、水の研究に携わることになりました。入社後は上下水道関連の研究をしている部署に配属されました。それまでの電力の研究は電磁気学などの領域でしたが、水処理分野は化学や生物学が必要で、私自身は教養課程の学生実験までのレベルでしたから当時は一から教えてもらっているような状況でした。

最初は下水処理、その次に下水処理水の再生水、そして海水淡水化の研究など、いろいろなテーマの研究に携わりました。海水淡水化の装置を作っている関連会社で、生産工程の改善に関わる生産技術に取り組んだこともあります。そして今取り組んでいるのが「下水道ブルーカーボン構想」に関わる技術開発です。

ケンネ:マレーシアで大学を卒業して、エンジニアとして働いていた時に、父から日本の文部科学省の奨学金があることを聞き、試しに申し込んでみたら受給することができました。アニメ好きだったので、日本に行ける資金が獲得できたことは素直に嬉しかったですね(笑)。
その後、大学院でエネルギー科学を専攻し、バイオマス関係の研究をして博士課程を修了しました。来日した当初は、あまり日本語ができなかった上に、京都弁ですから聞き取ることも難しかったのです。そのままでは生活に支障をきたしそうな状況だったので、バドミントンサークルに入り、バドミントンではなく日本語の勉強をしたことも(今となっては)良い想い出です。日本語検定も無事クリアできたので、日本での就職を視野にいれつつ、バイオマスの分野の研究職を募集していた日立を希望し、入社しました。

画像: 栄養塩類を与えることで人工海水で生育している海藻の成長がどのように変化するかの基礎実験を担当しているケンネさん(左)と陰山さん

栄養塩類を与えることで人工海水で生育している海藻の成長がどのように変化するかの基礎実験を担当しているケンネさん(左)と陰山さん

入社して半年後くらいに、いきなり下水道ブルーカーボン構想のプロジェクトに配属されました。大学院で研究したこととは内容は異なりますが、研究室の機器の操作方法などはよく似ていたのに加えて、同じ研究部の陰山晃治主任研究員にも懇切丁寧にサポートしていただいたので、習熟は早かったと思いますね。

とはいえ、ブルーカーボンが何なのかもよくわからない中で、海藻の実験をやってくださいと言われて戸惑ったことも事実です。マレーシアでは生の海藻を見たり触ったりしたこともありませんでしたから。しかし、少しずつ実験や研究に着手して学んできて、やりがいがあると研究だと感じるようになりました。同期入社の研究者は研究所内でのシミュレーションをすることが多いようですが、私の場合、業務時間中に海岸に出かけて海藻を採ってくる必要がありますから、同期の中でも一番外出が多いかもしれません(笑)。

下水処理水の制御でブルーカーボン増加へ

隅倉:ブルーカーボンとは、海洋生態系に取り込まれてその後海底や深海に蓄積される炭素のことを指します。海藻や海草などが光合成でCO2を有機物に転換し、有機物に含まれる炭素が海域で貯留されます。固形分は海底や深海に沈み、長期間貯留されることが分かっています。

背景には、2050年カーボンニュートラルに向けた世界的な取り組みの推進があります。炭素排出はゼロにすることはできないので、排出の削減や炭素の吸収で実質ゼロをめざしています。省エネの推進はもちろん、下水汚泥のエネルギー化、再エネ利用の拡大、焼却の高度化などの取り組みがありますが、それでも残余CO2が出てしまいます。そこで大気中にCO2の形で存在する炭素を除去するネガティブエミッション技術が注目されています。植物にCO2を吸収させる植林はよく知られていると思いますが、ブルーカーボンとして海に炭素を貯留する方法も徐々に注目されるようになってきました。
植林で樹木にCO2を吸収させる場合、木は陸上にあり枯死などで生物分解を受けると大気中にCO2を排出してしまうためCO2回帰リスクが高いのですが、海底に隔離できるブルーカーボンでは、数百年から数千年にわたって炭素を海中に閉じ込めることができるというメリットがあります。

ケンネ:ブルーカーボンは、海藻藻場、海草藻場、湿地や干潟、マングローブ林、などで蓄積されます。海藻や海草などは、成長するときにCO2を吸収します。その上で、海藻や海草などが産生する有機物には、難分解性有機炭素(RDOC)というCO2に分解されにくい物質も含まれており、炭素の貯留に向いているのです。

隅倉:海藻や海草などがある海は、魚が産卵したり隠れたりする場所が豊富であり、生態系の回復も期待できます。海藻や海草の藻場を増やす取り組みとしては、海中への藻場造成用のコンクリートブロックの設置などが行われています。また、下水処理できれいになった水を海中に流す際に藻類や海草の栄養になる窒素やリンといった栄養塩類を適切な量だけ残す方法が、植物プランクトンを餌とする貝類や藻場を増やす取り組みとして検討、試行されています。

日立はすでに、下水処理を行う生物タンクへの送風機の適切な風量をICTの活用で予測・制御する 「省エネ型下水処理制御システム」 を2017年から提供しています。このシステムでは、送風機の風量を制御することで、処理水の水質安定化や風量削減による消費電力の低減に貢献しています。

下水道ブルーカーボン構想では、下水処理水の水質を制御して放流される処理水に残存する栄養塩類の濃度を適切に管理し、海中の藻場などで海洋生態系に取り込まれたブルーカーボンを計測したデータを分析し、下水処理場の制御へのフィードバックをめざします。ブルーカーボンの管理や制御技術が確立できれば、下水処理場の方の手を煩わせることなく、水質基準の範囲中で栄養塩類を残して、ブルーカーボンを増やすことができる、という考え方です。

画像: 下水処理の制御技術によって栄養塩類の適切な供給管理を実現し、海洋生態系により吸収・貯留されるCO2(ブルーカーボン)を増強

下水処理の制御技術によって栄養塩類の適切な供給管理を実現し、海洋生態系により吸収・貯留されるCO2(ブルーカーボン)を増強

ケンネ:日立はすでに下水処理場の制御技術そのものは確立しています。現在は、栄養塩類が藻場に与える影響の分析や、ブルーカーボンの計測システムの開発、などに取り組んでいます。

隅倉:沿岸部だけではなく、沖合で洋上風力発電所の足場を活用し、藻場造成ブロックなどで大型海藻を増やすことなども検討していきたいと考えています。

計測方法の開発や栄養塩類と藻類の成長の関係を解明へ

隅倉:私は、この下水道ブルーカーボン構想の中の、実証試験のブルーカーボン計測の部分を同じ研究部のアスカリさんと担当しています。計測システムでは、さまざまな成分を測定する必要があります。海中のデータ計測は日立には知見があまりないので、得意とするパートナー企業さんと協力して、日立の強みも活かせるようなシステムの検討を続けているところです。

画像: 下水道ブルーカーボン構想

下水道ブルーカーボン構想

ケンネ:私は人工海水で生育している海藻に、栄養塩類を与えることで成長がどのように変化するかの基礎実験を行っているところです。この実験の意義は、ブルーカーボンのサイバーフィジカルシステム(以下:CPS)に使う基礎データを集めることにあります。下水処理水に含まれる栄養塩類が海藻の成長促進に及ぼす定量的なデータがまだ十分ないのです。例えば窒素が1増えたら、海藻がどのぐらいどの速度で増えるか、それによって固定された炭素がどう増えるかといったことを数式モデル化し、CPSで活用したいと考えています。将来的には、窒素とリンを増やした下水処理水を使うことで、海域のどのエリアでどの程度まで海藻が増えるかがCPSでシミュレーションできるようにしたいです。そうなれば下水処理場の制御に高い精度でフィードバックできるようになるはずです。

画像1: 計測方法の開発や栄養塩類と藻類の成長の関係を解明へ

海藻は生き物なので、なかなか想定通りにはいかないことが多いです。仕分けている間に海から採取してきた海藻が弱ってしまい、また採りに行く必要が出たこともありました。これまでの実験などからは、栄養塩類を含む下水処理水を添加した海藻のほうが、添加しない場合よりも1.6倍ほどに重量が増加したという結果が得られています。

一方で、栄養塩類の残留濃度が高すぎると、海中では赤潮が発生して悪影響になることもあります。CPSでは生態環境も含むバランスが取れるところを評価できるようにしていかなければと思っています。

画像2: 計測方法の開発や栄養塩類と藻類の成長の関係を解明へ
画像: 左:詳細分析のため採取したワカメ、右上:水質分析用サンプルの採水状況、右中央:実海域で飼育実験中のワカメ、右下:ワカメの全長計測状況

左:詳細分析のため採取したワカメ、右上:水質分析用サンプルの採水状況、右中央:実海域で飼育実験中のワカメ、右下:ワカメの全長計測状況

人との関わりが研究を推進する日立の研究開発環境

隅倉:日立の研究所には、さまざまな分野の専門家がいます。水は学際的な分野で、さまざまな分野の知見が関わります。社内に多方面の専門家がいて少し踏み込んだところまで教えてもらえるのは強みと言えると思います。

画像: 本研究チーム、左からケンネさん、アスカリさん、陰山さん、隅倉さん

本研究チーム、左からケンネさん、アスカリさん、陰山さん、隅倉さん

ケンネ:日立で研究することになって、良かったのはとにかく「優しい人が多い」ことです。指導員やマネージャーが親切で丁寧に教えてくれるのがありがたいです。何の質問でも素早く回答してくれるのです。

隅倉:今は陰山さんと私とケンネさん、アスカリさんの4人で実験室を一緒に使っています。ケンネさんの海藻の生育試験は、私の計測システムの研究とは直接はかかわらないのですが、それでも実験室を共用する立場としていろいろアドバイスをすることはあります。

ケンネ:実験室には隅倉さんがいつもいらっしゃるので、いろいろ教えてもらっています。計測機器の使い方はもちろんですが、ごみの分別などもわかりにくかったりするので聞いています(笑)。

隅倉:研究では、所属の部署が持っていない計測装置などを使って味見的な評価をしてみたい場合もあります。日立にはいろいろな分野の研究室があり、機器やノウハウの共有などの協力を得て研究を進めることができます。

書籍

画像1: 書籍

隅倉 みさき(Misaki SUMIKURA)

研究開発グループ Sustainability Innovation R&D
環境・エネルギーイノベーションセンタ
環境システム研究部 主任研究員

視点を広く持つアンテナとして新聞を読む

日本経済新聞は読んでいます。各業界にはその分野の関係者に向けた業界紙もあり深い情報が得られます。例えば水分野では日本水道新聞や日本下水道新聞などがあり、これらは研究部で購読されています。一方、例えば、水に関わる社会課題として、PFAS(有機フッ素化合物)についての研究を考えたとき、これからどのようなニーズがあり、市場がどのように拡大するかも考慮する必要があります。そうした中で視野を広く持ち、アンテナを高く張るためには、一般の経済紙が役立つと考えています。紙版のほうが視野が広がると感じますが、現在は手軽な電子版を購読しています。有識者などのセカンドオピニオンがあるのは、電子版ならではの良さだと感じています。

画像2: 書籍

ケンネ テオジカイ(Kenneth Teo Sze Kai)

研究開発グループ Sustainability Innovation R&D
環境・エネルギーイノベーションセンタ
環境システム研究部

ビジネスやチームについて考えるヒントをもらう

2つ紹介します。1つはナイキの創業者が書いた「SHOE DOG(シュードッグ)」(フィル・ナイト著、大田黒奉之訳、東洋経済新報社)です。ナイキを作る前にフィル・ナイト(Philip Knight)は性能が高い日本のオニツカ(現アシックス)の靴を米国で売ろうとしたことから始まり、ナイキの誕生に至るまでの数々の困難を乗り越える物語が描かれています。フィルは自分のビジョンを信じ、挑戦し続ける姿勢に魅力を感じ、読みやすいながらも、多くの価値を学べる本です。おすすめです。もう1つはサッカーの漫画「ブルーロック」(金城宗幸原作、ノ村優介作画、講談社)です。日本のアニメや漫画が好きで来日したほどですが、世界一ストライカーをめざし、トップクラスの選手たちとの激しい競争を繰り広げながら成長し、ついには世界の舞台で活躍できるところが好きです。

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