株式会社日立製作所(以下、日立)は、2000年のThe Linux Foundation創立当初からLinuxカーネルの信頼性向上や社会インフラ向けの機能開発に取り組むことで、OSS(Open Source Software)の普及・拡大に貢献してきたが、この動きをさらに加速すべく、2024年11月に、今までの豊富なOSS適用実績やコミュニティをけん引してきた技術力と経験を活かし、日立グループでの戦略的なOSS活用を推進するOpen Source Program Office(日立OSPO)を設立した。この取り組みの現場について、研究開発グループの西島主任研究員と佐藤主任研究員にきいた。
学生時代に導かれたコンピューターとの関わり方
西島:大学ではナビエ・ストークス方程式(Navier–Stokes equations)などを対象とした数値流体力学で、計算の部分を専門に研究していました。いかにメモリー使用量を減らしながら高速で計算するかといった研究です。同時に、サーバー管理などのアルバイトをするうちにコンピューターへの興味が高まっていきました。

OSやカーネルに興味を持ちながらUNIXなどを触っていたときに、「詳解 Linuxカーネル」という本に出会いました。Linuxは世界中で使われていて、コミュニティに投稿したパッチが採用されると世界中に自分が作った機能が使われるような大きな影響力があることが魅力です。さらにこの本は日立の研究者が翻訳していたこともあり、この本との出会いが日立の入社のきっかけのひとつになりました。日立では、なんと運良くこの書籍の翻訳者と同じ職場で働くことになりLinux関連の開発に携わることになりました。入社後は、金融システムのメインフレームからのオープン化で、メインフレーム高信頼化機能のLinuxへの実装などに取り組んできました。
佐藤:私は、割と早めに情報系、コンピューター系に進路を決めていたので、高等専門学校の情報工学科に進学しました。その後、大学に編入してから大学院まですべて情報系だったのですが、大学院進学時にたまたま産学官連携の実践的なITコースが新設されました。そのコースは大学の教員だけでなく、多くの企業からたくさんの講師が来てITシステム開発などについて現場からの知見を具体的に教えてくれるコースだったので、非常に役に立ちました。そしてその中に、日立から来た講師の方がいて、スマートで論理的でありながら面倒見が良く、「将来はこういう社会人になれたらいいなあ」と思い、日立への就職を考えるきっかけになりました。

社後は、ITシステムの運用管理、産業系アプリケーションの運用管理者の作業効率化などを研究してきました。研究成果は、ITシステムの運用管理を統合的に行う「アプリケーション運用ナビゲーションサービス」として製品化されました。この開発が一段落したときに、ブロックチェーンの研究開発を立ち上げるということで、新しいことをやってみないかという話をもらい、ブロックチェーンの研究に携わることになりました。
ITはOSSで協調し、他の領域で稼ぐ
西島:Linuxカーネルの書籍を日立の諸先輩が翻訳していたように、The Linux Foundation と日立の間には長く深い関係があります。2000年にLinux Foundationが創設されたときから、日立も富士通やNEC、NTTなどとともに立ち上げに関わってきたのです。Linuxはオープンソースソフトウェア(以下OSS)として公開されています。日立が得意な社会インフラ系などでもLinuxを使っていて、ソースコードを公開したりしていました。

つまり、OSSで高めたIT領域の価値を社会インフラやOTなどの領域に適用する、という考え方ですね。これらの市場では、シェアを10%から20%にする稼ぎ方もありますが、市場そのものを大きくすることで稼ぐ方法も考えられます。後者のアプローチで、コンペティターとなる他社も含めてサービスをより良く進化させて市場を大きくすることを考えると、OSSによる協調は価値があるものになります。本当の「オープンイノベーションの現場」と言っていいでしょう。
さらに日立は、お客さまのデータから価値を創出し、デジタルイノベーションを加速する「Lumada」を提供しています。Lumadaの方向性を加速させる手段としても、OSSが貢献できると考えています。
CNCJの設立で日本のITの存在感を保つ
西島:OSSの活用と並行して、日立はクラウドネイティブコンピューティング技術を推進する非営利団体 CNCF(Cloud Native Computing Foundation)の活動にも貢献しています。コンテナ技術の推進を基にして、クラウドネイティブ化(:オンプレミス開発のように物理サーバーを利用せず、最初からクラウド上で開発していくこと)を推進する団体です。2016年にGoogleからコンテナの運用管理を最適化するOSSの「Kubernetes」の知的所有権を譲り受け、The Linux Foundationの協賛の基で本格的に活動をスタートしました。そして、2023年11月にはCNCFの日本コミュニティとして CNCJ(Cloud Native Community Japan:CNCFと日本の企業・団体をつなぎ、日本におけるCNCFおよびクラウドネイティブの普及促進を図る中立的グループ)をキックオフさせ、NECや富士通、トヨタ、プリファード・ネットワークス、アップルなどと一緒に活動しています。

佐藤:世界の先端システムは、OSSを活用する前提で作られていますから、日本のITの存在感が薄まらないためにも、多くの日本の有力企業と一緒にOSSコミュニティを活性化させることが重要なのです。特に日本からの発信では、品質や安定性にセンシティブな国民性や独特の慣習が貢献すると考えています。私は北米に一時期滞在していたことがあるのですが、銀行のシステムは時折止まりますし、スマホのアプリが今日は使えないといったようなことがあり、多少不便さを感じることがありました。これが品質や安定性への要求が高い日本で起こったら一大事ですからね。
具体的には、OSSのスキームの中でも、ソフトウエアの特定のバージョンを長期間安定的にサポートするLTS(Long-Term Support)などの側面では日本企業の活動が大いに期待されています。日本ならではの要望を伝えたり、品質部分でサポートしたりという活動です。将来的には、長期安定運用が得意な日本仕様をカバーするとOSSの品質が高まるという方向性になるでしょう。
西島:私は2023年11月から、クラウドネイティブ技術を世界中に広める役割を担うCNCFアンバサダーも務めています。世界で約270人が任命されており、そのうち日本のメンバーは8人ほどなのですが、私はアンバサダーとして、日本でのクラウドネイティブを盛り上げたいと考えています。日本には英語が得意ではない人もいるので、CNCFの最先端のドキュメントの日本語への翻訳を中心に活動を進めています。
「Hyperledger Fabric」プロジェクトにおいてもOSSに貢献
佐藤:OSSに関するもう一つの日立の具体的な活動として、「Hyperledger Fabric(ハイパーレッジャー ファブリック)」の開発プロジェクトがあります。エンタープライズ向けブロックチェーンのOSSです。私自身が2024年4月にこのプロジェクトをリードする管理者(コアメンテナ)に就任しました。 これは日本企業としては初めてのことです。
このプロジェクトをもう少し詳しくご説明します。ブロックチェーンは、ネットワーク上に分散する複数のノードに取引記録(台帳)を保持させ暗号技術を用いることでデータの同一性・信頼性を実現する技術ですが、その中にはビットコインやイーサリアムのように不特定多数の人が使う「パブリック型」と、許可された複数組織間で使う「コンソーシアム型」の2種類があります。コンソーシアム型は、組織間での業務プロセス改革や、環境価値取引などの新しい価値流通への利用が想定されています。
The Linux Foundation配下の「Hyperledger Foundation」(注1)では、こうしたエンタープライズ向けのコンソーシアム型ブロックチェーンを中心に技術開発を推進しています。実は日立は、Hyperledger Foundationが設立された2016年から、最も中核に位置するPremier Memberの1社でして、「Hyperledger Foundation」が抱える数多くのプロジェクトの中でも、日立は特に「Hyperledger Fabric」の開発に貢献してきた、というわけです。すでに金融やヘルスケアなど、幅広い分野で活用事例が上がってきています。
(注1)なお2024年9月には、Hyperledger Foundationを包含する上位組織として、Linux Foundation Decentralized Trust (LFDT)が発足した。ブロックチェーン、台帳、アイデンティティ、相互運用性、暗号技術、および関連技術の成長するエコシステム全体でコラボレーションとイノベーションを促進する新しい統括組織。

コンソーシアム型ブロックチェーンの難しいところの一つとして、議長のような人の存在がガバナンスを決めていくと中央集権的になってしまうことがありました。一方、当時の開発コミュニティの興味・関心は、処理の高速化に集中しがちでした。そこで、入社以来、培ってきた運用管理の研究成果を活かすべく、ガバナンスや運用を非中央集権的に管理できるシステム運用管理技術の「運用スマートコントラクト(OpsSC)」を開発し、Hyperledger Fabric向けの実装をコミュニティに紹介して公式に認められたOSSになり、その知見を元にHyperledger Fabricの改善提案を続けているうちに、私自身もコアメンテナに任命されたのです。
OSS活用を宣言するOSPOを設立し社内外の連携を強化
西島:さらに日立は2024年11月に、戦略的なOSS活用をグローバルでリードするための組織としてOpen Source Program Office(OSPO)を設立しました。OSSを戦略的に活用することが重要だ、と世界中の企業で認識され始めていますが、OSPOは、企業としてOSSを活用することを正式に宣言するもので、日本ではトヨタ自動車やソニーなどが先陣を切って設立しています。グローバルではGAFAをはじめとして、シーメンスやゴールドマン・サックスなど100社以上で設立されています。
今までご説明したように、日立はOSPO設立以前からOSSの利用には積極的でしたが、事業部門ごとでの自由な活動に任されていて、全社としての統一した取り組みにはなっていませんでした。そこでOSPOの設立を機に、OSSに力を入れることを社内に積極的にアピールしていこうと考えています。日立社内でのOSS利用に関する相談窓口になると同時に、外部の、例えばThe Linux Foundation などのOSS関連組織やコミュニティとの連携窓口にもなります。

日立のOpen Source Program Officeの概要
日立OSPOは、60人規模でスタートしましたが、今後はグローバルを含めて100人規模の態勢へと強化する予定です。デジタル系の部署だけでなく、インフラ系や知財、人財教育など多様な部門からOSSコミュニティに貢献したい人を選任しています。この活動を通じて、日立グループ内でのOSSコミュニティ活動の地位の向上をめざします。具体的には、「OSS探索と活用戦略の立案」「コンプライアンス管理」「高度エンジニア育成」「OSSの普及」を掲げ、幅広いお客さまのDX加速に貢献していくつもりです。

佐藤:メンバーの中には事業部門と兼務の方も多く、それぞれの部門の窓口となっていただいて、業種横断的課題やニーズを共有できるような枠組みがすでに
セットアップされています。
西島:日立OSPOという明示的な組織を立ち上げたことで、社内からの問い合わせが多くなって、連携がしやすくなりましたが、さらにOSSを活用するために、OSPOとして私たちがここにいることを、グローバルの日立グループ全体にもっとアピールしていきたいです。OSPOの取り組みは、組織や制度などの企業文化を大きく変化させていくポテンシャルがあると思います。少し大袈裟かもしれませんが、今後の日立の100年をITとOTの両面でサステナブルにしていくための一つのきっかけになるような気がします。
佐藤:社外からもたくさん反響がありました。さまざまな企業の担当者が集まるミートアップに参加したときも、「日立さん、OSPOを立ち上げたんですね」といったお声掛けをいただき、互いにどんなことをやっているかを議論するきっかけになっています。企業としてオープンソースコミュニティに参加するのは、手探りであることが少なくないのですが、OSPOをきっかけに多くの企業とコミュニケーションを深め、お互いにいいとこ取りをして、日本全体のIT/OT/DXのブラッシュアップにつなげていきたいです。
西島:日立は、多くの分野でのインフラ事業を手掛けていますし、もちろんITも得意です。両方に手を伸ばしている企業は世界的に見てもかなり少ないのではないでしょうか。IT/OT/DXに求められる考え方をOSSコミュニティに、OSSコミュニティの技術をIT/OT/DXに持ち込めるのは日立ならではないか、と考えています。

西島 直(Nao NISHIJIMA)
日立製作所 研究開発グループ
デジタルサービス研究統括本部
デジタルサービスプラットフォームイノベーションセンタ
サービスコンピューティング研究部
主任研究員
日立の入社やOSSコミュニティ参加のきっかけになった一冊
学生時代に読んだ「詳解 Linuxカーネル 第3版」(オライリー・ジャパン、Daniel P. Bovet、Marco Cesati著、 高橋浩和監修、杉田由美子ほか翻訳)を紹介します。コンピューターの心臓部としてLinuxのカーネルを押さえておくと将来役に立つのかなと思って手に取りましたが、最初に読んだ時はさっぱりわかりませんでした。しかし、この本の翻訳は全員が日立の人で、わからなかったら聞きに行ける日立に入社することになりましたし、そこから広がってOSSのコミュニティの活動に参加するようになりました。まさに、人生を変えた本です。

佐藤 竜也(Tatsuya SATO)
日立製作所 研究開発グループ
デジタルサービス研究統括本部
デジタルサービスプラットフォームイノベーションセンタ
サービスコンピューティング研究部
主任研究員
高専生で出会いその後の進路や研究テーマに影響
デザインパターンについて学びたいプログラマやオブジェクト指向の本質を理解したい人に向けた「Java言語で学ぶデザインパターン入門」(ソフトバンククリエイティブ、結城 浩著)に、高専生のときに出会いました。当時はプログラミングがまだこなれていないときに、JavaでGUIのプログラムを無料で作れることが画期的でした。この本でソフトウエア工学(オブジェクト指向、デザインパターン、UML(Unified Modeling Language)など)について学び、世界が広がりました。作りたいものをソフトウエアで作れるようになり、その後ソフトウエア工学や開発に興味を持ち、大学院進学や就職に影響を及ぼした原点の一冊です。