株式会社大林組 設計本部 プロジェクト設計部 担当部長
馬木直子氏
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株式会社日立製作所 東京社会イノベーション協創センタ デザイナー
熊谷健太
東京都・国分寺市にある日立製作所中央研究所の敷地には2万本を超える樹木が生い茂り、武蔵野の面影を残す豊かな自然環境が保たれている。「よい立木は切らずに、よけて建てよ」という研究所設立時の方針、野川源流の一つである湧水への配慮、縄文時代の集落遺跡の保全、といった様々な制約条件の中で、オープンイノベーション拠点としての「協創の森」、そしてその中核施設としての協創棟の設計・施工を担当したのが大林組だ。発注から竣工までの様々なエピソードを同社の設計本部・プロジェクト設計部・担当部長の馬木直子氏にお伺いした。
聞き手はこの建築設計プロジェクトの日立サイドのリーダーである熊谷健太(東京社会イノベーション協創センタ デザイナー)。
5社で協創がスタート
熊谷:今回のプロジェクトの設計の総まとめは、全部、大林組さんがやってくれたんですが、日立建設設計、イトーキさん、サワダラインディングデザイン&アナリシスさん、そしてうち(日立製作所・東京社会イノベーション協創センタ)のデザイナーのメンバーが加わった5社でプロジェクトチームを組んでスタートしましたね。
馬木:解くべき課題がたくさんあり、最初に日立さんから2015年12月に頂いた基本計画からはガラッと変えてしまいました(笑)。
熊谷:その頃からすでに日立は「協創」という概念を打ち出していました。いわゆる情報やサービスのデザインを行う時にお客さまと一緒に協創を重ねてきた経験や、プロダクトデザインでの社外デザイナーとの協働があったので、大林組さんとのこの協創棟プロジェクトにも同様の概念を当てはめて動いた、ということかな、と思います。
初めて返仁橋を渡ったときにイメージが固まる
馬木:私たちの普段の仕事の大半は都心のオフィスビルの設計でして、今回のように、森の中の建物を設計することなどほとんどないのです。なので、最初にここ(東京都国分寺市の中央研究所)にお伺いしたときに正門から返仁橋(へんじんばし)を渡ったところでもう感動してしまいまして(笑)。で、1)既存建屋を解体した後に残る基礎に重ねる形で、2)なるべく木を伐採せず、3)土もなるべく掘らない、という方針を打ち出して、その前提でスタディを開始して3案ほど、それもかなりスピーディーにお持ちしました。
熊谷:中央研究所の構内からは、これまでも先土器・縄文・弥生時代の遺跡が発掘され、この地が古代から、文化の中心だったことを裏付けています。このため、広い面積をいじった場合、遺跡の出土による工期の遅れが生じる可能性がありました。なので、もともとあったもののフットプリントを利用すれば新たに土を掘る面積は確実に小さくなる。同時に野川源流の一つである湧水にもさわりたくない。というわけで古い建屋の基礎を利用していただいて、木もできるだけ伐らないでという難しい前提で、とても巧みなプランをつくっていただきました。
馬木:実際には縄文時代に肉を焼いていたらしい跡が出ちゃいましたけどね(笑)。
熊谷:今回は、過去の調査で既に出土しているものと同じであったことから、工期への影響はありませんでした。
馬木:とにかくスタートが大事かなと考えて、12月に最初にご相談いただいて、1月の最初の定例会議で模型を出しました。我ながら頑張ったなと思います(笑)。たくさんの案をご提示させていただきましたが、割とすぐに「3つの箱とそれをつなぐガラスの箱」というコンセプトで決まったんですよね。
熊谷:そうでしたね。早く決まったのは大林組さんに「森とうまく共生できる」というコンセプトを大切にしていただいたからだと思います。何しろ「木を伐るな」というのは、1942年に中央研究所を建てるときに創業社長の小平さんから出された方針ですから。
馬木:「森に傷をつけない」は先ほども申し上げましたが、最初にお伺いして橋を渡った時の私自身の感動からスタートしています。熊谷さんから要求される前から勝手にそうしようと決めていました。後から日立さんのホームページを見たら、「よい立木は切らずに、よけて建てよ」とちゃんと書いてありましたが(笑)。
1月にご提示したときには、中身はまだほとんど詰まっていない状態だったんですけれども、大林組社内でスタディを繰り返す中でも「3つに分節する」というアイデアはすぐに出たわけではないんです。(社内の)チームで集中的にディスカッションしていた時に、突然ポーンと出てきたアイデアで、その場で満場一致、という感じでした。スケジュールはきつくした方が逆に優れたアイデアが創出されやすいのかもしれません。きつい分だけ燃える、ということでしょうか。いずれにしても、協創棟は私が今まで手がけてきた都心のオフィスといった案件とはかなり異質なものなので、今後別の案件を設計するときのとてもよい参考になったな、とも思います。
外観を巡る諸問題
馬木:外観は典型的なモダンデザインで、特別なことは、実はしていないんです。普通にガラスと押出成形セメント板だけで、特別に何か装飾しているわけでもなく。ただ、だからこそ、それをきれいに見せるのが案外難しいんですけどね。
熊谷:もともと建物の正面部分(ファサード)は、全然違うデザインだったんです。で、とにかくガラスのカーテンウォール*にしてください、とお願いした(笑)。
*カーテンウォール:建築構造上、取り外し可能な外壁、非耐力壁。
馬木:外観については結構時間がかかりましたよね。何回提案してもだめで(笑)。
熊谷:コストの制約がありましたからね。腰窓の普通の、なんていうんですかね、要は全面がガラスじゃない、腰壁から上がガラス窓になっているタイプ。
馬木:横連層ですね。
熊谷:そうそう。連層で縞縞の、昔の役所みたいなのは嫌だと。
馬木:あー、すみません(笑)。それも70年代の役所ですね、とか言われて。
熊谷:僕、辛辣ですから(笑)。とにかく天井から床までのガラスのカーテンウォールにしてほしいなということと、日射のことがありましたのでルーバー*をつけてくださいというお願いをしたという感じですね。
*ルーバー:細長い羽板を隙間を空けて並べたもので、日除けや風よけ、通風、目隠しなどの目的で設置される。
馬木:ファサードのデザインはですね、これ、わりとモダンな感じじゃないですか。実は、我々もこの感じは好きだったんですけど、コストのことなどもあり社内で意見が割れてしまいまして。
熊谷:まあ、施主が言っているんだからと。
馬木:そうそう(笑)。「いや、どうしても熊谷さんがウンと言ってくれないんです」などと説得して。普段の私たちの仕事では、我々は納得していないけれど、お客さんがどうしてもこれがいいと言うから、それにします、ということはないんです。だから施主がデザイナーだったりすると大変、というよりも逆に燃えたりしますね(笑)。何回パースを持っていっても、「違う」「違う」とか(笑)。出しているほうも、「また、違うって言われるかな」と思いながら出すんですよ。で、あるとき、こっちも、「あ、これ、イケるかも」って思うのができて、持っていったら「これがいいよ」とあっさり決まったり。そこまでねばらないと納得できるものにはならないのかなという気がします。これ、ダメ、これ、ダメってやりとりをしている中で、おのずからできること、できないことっていうのもあるでしょうし、やりたいこと、やりたくないこというのがお互いに鮮明になってすり合わせられて、整理されていくんでしょうね。
熊谷:この話は、私たちデザイナーが普段、日立社内で経験してることでもあります。私たちデザイナーがつくるものを営業が納得してくれない、というようなケースですね。ただ、僕らはデザインのプロですから、ちゃんと考えているので、それを説明するしかないですよね。今回、外観の問題で一番大きいのはコストだったと思うんです。現実にファサードは値段が上がっているんです。だけど、他で下げましょうね、という話で決着したわけです。
奥の院をオープンにせよ、という難問
馬木:外観はともかく、中身のプログラムがなかなか最後まで決まりませんでしたね。
熊谷:そもそも中央研究所って日立の研究所の中でも一番奥の院なんですよ。そこをオープンにするなんて普通やらない。だけどそれをやることになった。ほんとに最後の最後まで「外の人と研究でこう使うから、こういうスペースにしよう」という議論が続き、大変それはご苦労をおかけしました(笑)。
馬木:ざっくりした部分は決まっていましたけどね。
熊谷:今、私たちがいるところはカフェライブラリーです。外の人がいっぱい来て、ここでミートアップするという場所です。できるだけ敷居を下げて、いろいろな方に来ていただいて、ここでいろいろな情報交換ができる場として設えてあります。ですが、もともとは、ここはお客さまやパートナーと研究を行うための協創スペースだったんです。閉じた部屋だったんですけど、途中からそうじゃなくて、やっぱり人が来てもらえる場所をつくらなきゃ、ということで開かれた空間に変更した。全体的に柱がない設計をしてくださっていたので助かりました。構造的な壁が非常に少ないのが協創棟の特徴ですからね。フレキシビリティにあふれているんです。逆にそれがあるから最後まで様々な変更が可能だったとも言えるわけです。
それと、いわゆるモダンアーキテクチャで言うところのユニバーサルスペースと違うのは、圧倒的に外との関係をつくってくれている、という点にあります。均質空間じゃないんです。夏場に窓際にいて暑かったりするのなら中へ移動してもらえばいいという割り切りがあるので、スタイルはモダンデザインですけど、思想的には日本家屋に近いかもしれません。
馬木:どこにいても外を感じる、というのは協創棟の重要なキーワードの一つですよね。
もともと(アイデアレベルでは)ドーンと大きかったものを、コストの問題もあって、ちょっとキュッとしたんですね、小さく。そのときに、無駄な空間をつくりたくないというので、例えば、移動のときしか使わないような廊下は設置しないというようなことにも配慮しつつ、かつ、いろいろな部門の人が協創できるようにということもあって、どこにいても端から端まで見えるような空間にしたい、ということもありました。それと、多目的になんにでも使えるというのは、実は無目的というか、結局、何にも使えないみたいなことになりがちなので、広い空間なんだけれども、場所によって性格があって、空間は一つだけど場がいろいろある、ということは随分意識しました。家具を一つ置いただけでも"場"は劇的に変えることが可能です。このあたりも熊谷さんとは同じ考え方だったと思います。今回、この協創棟には様々な"場"ができていると思います。しかも多重化して利用できるように考えられています。
熊谷:家具の入っていない状態の写真を見ていただくと、空間がものすごく広々と抜けていることがわかるんですけどね。
馬木直子
株式会社大林組
設計本部
プロジェクト設計部担当部長
馬木さんの愛読書
本に誘われて旅に出る
こだわりなくどんなジャンルのものでも読みますが、旅行が好きで、本がきっかけで出かけることが多いです。
・「集落の教え100」(原広司著、彰国社)、「河童が覗いたインド」(妹尾河童著、新潮文庫)
20代・30代のころは異文化の町をうろうろ歩くのが好きで、モロッコやウズベキスタン、インドなどが印象的でした。
・「アフリカの蹄」(帚木蓬生著、講談社文庫)
最近は自分自身のパワーが減ってきたのか、地球のパワーを感じるような大自然に惹かれます。ケニアのサバンナやナミビアの赤い砂漠、ペルーの熱帯雨林からパワーをもらいました。
熊谷健太
株式会社日立製作所
東京社会イノベーション協創センタ
デザイナー
熊谷さんの愛読書
紙に情報を閉じ込めてパッケージ化した「本」というモノに惹かれる
「ナウシカ考 風の谷の黙示録」(赤坂憲雄著、岩波書店)
最近読んで面白かったのは、「ナウシカ考 風の谷の黙示録」という本です。1984年に公開されたアニメ映画ではなく、月刊アニメージュという雑誌に1982年から12年の歳月をかけて連載された「風の谷のナウシカ」の原作漫画を、学習院大学の先生である赤坂さんが25年の試行錯誤を重ね、ひとつの思想書として読み説いたものです。この宮崎駿の長編漫画作品が、これから訪れるやも知れぬ決して明るいとは言えない未来の社会を舞台に、権力に結び付いた技術による支配について問うた優れた文明批評であると同時に、人がそこでどう幸せに生きるかを読者に問う思想書足り得ていることが、とてもよく分かる優れた著作だと思います。この本は原作漫画とパラレルな関係にありますので、全59話の内容を知らないと理解しづらいところもあります。ですので、もし興味のある方は先ずは漫画版「風の谷のナウシカ」の読破を!