地球温暖化などの気候変動への対応に向けて、脱炭素(カーボンニュートラル)社会の実現が求められるようになった。走行中にCO2を排出しない「電気自動車(EV)」の普及は、カーボンニュートラル実現を後押しする。日立製作所は日立Astemo社と共同で、EV普及の1つの方法論であるインホイールモーターを開発、2021年9月に「Direct Electrified Wheel」として発表した。研究開発グループ 電動化イノベーションセンタ モビリティドライブ研究部長の高橋暁史は、中学生のころに人生の目標として掲げた「地球温暖化防止」に、モーターの研究の側面から取り組み、インホイールモーターの試作成功にこぎつけた。
「地球温暖化防止」を人生の目標として定めた中学時代
2004年に日立製作所に入社し、ここ日立研究所に配属されました。地球温暖化を防止しよう、カーボンニュートラルを実現しようということが人生の目標だったので、それに向けた研究に打ち込めると思うと大変ありがたい配属でした。
なぜ地球温暖化防止が人生の目標になったかというと、生まれ育った北海道・小樽での体験や学びが影響しています。小樽は海と山に囲まれた自然豊かな街で、夏がとても短く、冬は雪が積もります。短い夏を惜しむように海水浴や虫取り、花火を楽しみ、長い冬には家族みんなで雪かきをして、家に戻ったら温かい物を食べるといった暮らしを小さいころから経験してきました。なんの疑問も抱かず、そういうものだと思っていたのです。
ところが、中学に入って地理を習うと、日本のほとんどが温暖湿潤気候に属しているのに、北海道は亜寒帯気候だと学びました。世界にはいろんな気候があって、ここはその1つの亜寒帯なんだと初めて認識しました。やたら短い夏と長い冬はそういう理由なのかと。同時に、地球の温暖化が進んでいて、このままでは住むところの気候が変わってしまう、慣れ親しんだ自然の姿、当たり前に思っていた季節の姿が変わってしまうと知りました。そうならないように、純粋に「なんとかしないと」と思ったことが原点です。
風力発電や太陽光発電などの再生可能エネルギーがカーボンニュートラルに貢献するということは、当時から言われていました。自動車も将来は電気自動車(EV)になり、高速鉄道はリニアモーターカーになり、全部電気で走るようになる。そんな電気エネルギーの将来に大きな夢を持っていました。ですから、大学では電気工学を学ぶことにして、電気の中でも、電力の発生源であり消費先でもあるモーターについて学ぶことで、その先の人生を通してカーボンニュートラルに近づいて行けると考えました。
就職の際も、電気エネルギーを通して地球温暖化防止に貢献できることを前提に考えました。自分としては、社会に実装できる具体的なアイデアを出していくことが向いていると感じていて、そこで選んだのが日立製作所でした。鉄道や電力などのインフラ事業が花形で、活躍している先輩に憧れて入社を決めました。
モーター研究の専門家へと邁進
日立に入社してからは、ビル用のエアコンモーターなどを手掛けてきました。日立らしいインフラをやりたい気持ちはありましたが、モーターの研究部に配属されて満足でした。カーボンニュートラルには少し遠いですが、ここで早く実力を示して次のステップに進もうと考えました。取っ掛かりは何であっても、モーターの理論は共通です。
当時、ビル用のエアコンモーターには、商用電源につなぐだけで使える誘導モーターが広く採用されていました。効率が高い磁石モーターは一部で使われていましたが、そこまで普及していませんでした。磁石モーターを動かすためにはインバーターが必要で、それが今よりもずっと高価だったからです。それならば、インバーターなしで動かせる高効率な磁石モーターを作ればいいと、開発を始めました。
初めて作る製品でしたが、ビル用のエアコンを手掛ける日立のグループ会社から研究用のお金をもらって、入社4年後の2008年に製品化することができました。大変だったのは、新しい製品なので、設計、ものづくり、品証など様々なシーンで課題が山積みだったことでした。解決策をなかなか認めてもらえず、工場の現場に何度も足を運んだ時期もありました。ただ、そんな状況が嫌だったかと言うと全く逆で、モーターに革新をもたらす好機が入社早々に訪れたことに内心は興奮していました。課題をポジティブにとらえてアジャイルに解決策を検証する瞬発力が、この若い時にかなり鍛えられたと思います。
2008年の製品化と少し前後して、ドイツのダルムシュタット工科大学に1年半赴任しました。製品化したモーターの理論が深堀りできていなかったため、「研究してこい」と言われたのです。世界で初めて電気工学科が創設されたこの大学で、徹底的に理論を追求する経験を積めたことは、自分にとって大きな転機となりました。帰国後もインフラには携われませんでしたが、家庭用のエアコンモーターなどを研究し、いくつかの製品化も手がけました。習得した理論を駆使して、特許や論文も量産しました。2010年、当時30歳でダルムシュタット工科大学の博士号を取得したときには、モーターの分野で着実に歩を進めてきたことに自信を深めていました。しかし、そこからが伸び悩んでしまいました。モーターの研究をする中で、自分の得意な分野に提案が偏ってしまったんです。提案が通らなくなり、悩んでいた2013年、まったく関係のない分野の工場に転勤になりました。
この転勤は自分の研究者人生にとって2度目の転機になりました。環境への負荷が少なく持続可能なエネルギー源の1つとされる核融合実験炉を建設・運用する国際共同プロジェクトのITER(イーター)に関わることになったのです。2040年に実用化に向けた実証炉を作り、2080年の実用化をめざすというとても長期にわたるプロジェクトです。核融合を起こすために必要な100万ボルトを生み出す電源システムの設計責任者に就きました。カーボンニュートラルには近いテーマでしたが、時間的にははるかに遠く、しかもモーターとは全然関係がありません。どこか知らない道に迷い込んでしまったような不安を抱きながらも、このチャンスを活かして何を学ぶべきかを必死に考えました。そこで私が自分自身に課したのは、「モーター以外」のことに、徹底的に視野を広げることでした。このマインドセットを持ってシステム全体を取りまとめる仕事をしたことで、得意分野だった電気回路や電磁気学の視点だけでなく、異分野の専門家たちの視点からも、課題や結果を広く眺めて解釈できるようになりました。転勤して3年半、基本設計から製造、品質保証までを一気通貫で駆け抜けてプロジェクトを完遂しました。入社して10年以上が過ぎていましたが、課題をポジティブにとらえるマインドには磨きがかかっていたと思いますし、それを支えてくれる先輩や仲間にも恵まれました。この仕事をアサインしてくれた上司には今でも感謝しています。
その後、研究所に戻ってからは、モーター単体の研究ではなく、カーボンニュートラルに貢献できるシステムとは何か、という視点で研究提案を考えるようになりました。数年前に悩んでいた自分とは別人に生まれ変わった感覚でした。その一方で、会社の経営方針が風力発電や火力発電からの撤退に舵を切っていくのを、複雑な想いで見守りました。入社当時からの憧れだったからです。でも、自分の力でコントロールできないことを悩んでも仕方ありません。それよりも、いまの自分にできることをもっと広く探そう。そう思いEVの成長市場にスコープを当てた取り組みを新たに始めました。
社会実装できるインホイールモーターをめざす
日立製作所と日立Astemo社は2021年9月30日に、EV向けのインホイールモーター「Direct Electrified Wheel」を発表しました。インホイールモーターというのは、自動車の車輪(ホイール)の中に装着できる電気モーターのことです。ホイール内のモーターの働きだけでEV車両の走行が可能で、効率を高めるだけでなく、車体にモーターなどのスペースを用意しなくて済むメリットもあります。
試作したインホイールモーターは、インバーターやブレーキを統合したシステムとして仕上げたことが特徴で、3つの大きなコンセプトがあります。「小型、軽量化」「コンパクトな一体化」「省エネ」です。これらをシステムとして提供できるように開発しました。
最も大変だったのはモーターの中身です。モーターは100年にわたって作られてきて、アイデアは出尽くしているところでもあります。まず、モーターの力を直接タイヤに伝えるコンセプトを立てました。今の自動車用のモーターは小さいサイズて大きな動力を伝達するために、様々な機械部品を使っています。しかし、インホイールモーターにするにはそういった機械部品のスペースはありませんから、モーターだけで必要な駆動力をまかなわなければなりません。小さいながらに力を出す工夫が必要でした。
そのために、モーターのコイル部分の溶接スペースを大幅に削減する手法を開発しました。独特の扁平形状を考案したことでコイルを高密度配列できるようになり、小型軽量化を実現できました。
また、モーターを革新するために作り方も形も変えました。ハルバッハ配列と呼ぶ磁気回路の採用です。永久磁石の配列を工夫することで磁界を集中させ、磁力を高めることができます。この配列自体は古くから知られているもので、掃除機などでは利用されています。しかしこれまでは小さなモーターでしか実現できておらず、EV向けのインホイールモーターのような直径40cmのモーターには適用できませんでした。日立では、永久磁石の間に鉄を配置することで、大型のモーター向けにハルバッハ配列を作ることに成功しました。
コイルの高密度配列は軽量化に必須でしたし、ハルバッハ配列は高いトルクやハイパワーを得るために不可欠でした。これら2つの技術開発がなければ、このインホイールモーターは日の目を見なかったかもしれません。
もう1つ、特筆したいのが冷却技術です。発熱するモーターとインバーターを1つの油冷システムで冷却できるようにしたのです。従来、モーターは油で冷却し、インバーターは水で冷却していました。しかしそれでは2つの冷却システムがインホイールモーターに必要です。そこをインバーター屋さんとモーター屋さんに無理をいって、油冷による1つの冷却システムで冷却できるようにしました。水冷と油冷のどちらがシステム全体で見たときに最適なのかを比較検討し、アジャイルに開発したシステムです。
インホイールモーターの開発は、このようにインバーターと一体化したシステム全体で最適化を進めていきました。既存の自動車のサスペンションアームに取り付けられるように、車の試作メーカーなどを巻き込み、プロジェクトチームで徹底してシステムとしての適合性を重視して開発したのです。
2013年にモーターとは全く関係のない工場で異分野のシステムを見るという経験をして、社会実装をするためにはシステム視点が重要だと実感したことがここで生かされています。実装する条件として、いまの車に使えるかを考えて、システムとして作り上げた成果です。
未来のクルマの形をイメージする
インホイールモーターの開発に当たって、これを4輪に積んで走る車のイメージを徹底的に議論しました。EV化と同時に、自動車は自動運転化が進みます。2025年以降には、特定の条件下で運転を完全に自動化する自動運転の「レベル4」が実現されていくでしょう。人間が運転しない自動車が実用化されていくわけです。そうしたときに、自動車は何を価値として提供するのでしょうか。運転の楽しみや喜びではないとすると、移動空間には快適性を求めるでしょう。新幹線と普通列車は快適性が違います。自動運転化が進んだ自動車には、乗り心地も含めた空間の快適性が求められると考えました。
快適な空間をどうやって提供するかと考えたとき、「今の車のレイアウトとは違うよね」という議論をしました。広くて快適な移動空間を提供する自動車の動力系はどこに行くかと言うと、車輪の中、インホイールモーターが答えになるという考え方です。
乗り心地を保つためにはホイール部分が軽量であることが求められるので、快適な移動空間をインホイールモーターで実現するには軽量化は避けられません。一方で快適な自動車としては車格も一定以上になると考えると、出力もそれなりに必要です。私たちは、モーターのパワー密度として世界トップクラスの2.5kW/kgを達成し、60kWの最大出力を得ることができました。一般的な19インチのホイールに内装でき、既存のEVに比べてエネルギーロスを30%低減できます。将来の快適な移動空間を実現するためのインホイールモーターを作り上げてきたのです。
EVからカーボンニュートラル実現まで広がる適用範囲
こうして開発したインホイールモーターですが、今すぐ実用化される類のものではないと思っています。自動運転時代の自動車のあり方をコンセプトに開発したものですから、自動運転が普及しないとあまり価値が出ないのです。今は、早めにジャブを打って、世の中の反応を見るという段階です。
それではこの技術がしばらく役に立たないかというと、そんなことはないでしょう。モーターの技術は様々なところに横展開できます。アプリケーションが異なっても、モーターの理論は共通だからです。今回はインホイールモーター向けに作りましたが、モビリティ以外にも展開していくことを考えています。
このさき私が手掛けたいと思っているのは、やはり発電所への利用です。カーボンニュートラルを実現するためには、電気を作るところをなんとかしないといけません。EVはカーボンニュートラル実現の1つの手段ではありますが、決定打にはなりません。動力源となる電気を手に入れるところがカーボンニュートラルにはならないからです。再生可能エネルギーは重要な役割を果たしますが、安定的に発電することができません。それだけに火力、水力、原子力に続く第4の発電手段を取り入れたいと思っています。その手段として注目しているのが、水素を燃やして発電する方法です。
水素で発電するとなると、高効率な発電機が必要です。モーターに流れる電気の向きを逆にすると発電機になりますから、インホイールモーターで実現したような小型で高効率なモーターがあれば、それを逆に使うだけで小さい発電機ができます。開発した技術をそうした発電用に使えば、カーボンニュートラルに近づくことができるでしょう。もちろん発電以外にも、インホイールモーターの技術を「途中下車」させてEV以外で実用化する方法はいくつもあると考えています。
日立のいいところは、こういったアイデアをボトムアップで提案できる点です。インホイールモーターを手がける前、私を含めたプロジェクトメンバーはそれぞれ別の研究をしていました。新人、ベテランを問わず、新たな挑戦を提案できる文化があるからこそ、自動車の分野でこのプロジェクトチームが大きな花火を打ち上げることができました。いくつもの新しい挑戦がこの先も続いていくと思うと、とても楽しみでワクワクしています。
モーターの研究を続けてきたことで、ようやく人生の目標である地球温暖化防止への入り口が見えてきたところです。最近ではカーボンニュートラルという言葉によって、地球温暖化防止の必要性が広く一般に理解されるようになってきました。やりたいこと、人生の目標に、時代のそよ風がやさしく後押ししてくれているように感じています。
高橋暁史(TAKAHASHI Akeshi)
日立製作所 研究開発グループ
電動化イノベーションセンタ
モビリティドライブ研究部
部長
10年前、提案で苦しんでいた自分に突き刺さった本
『ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件』(楠木 建著、東洋経済新報社) は、一橋大学の楠木先生によるビジネス戦略の書籍で、約10年前に提案で苦しんでいたときに読んでいました。提案が通らないとき、どういう提案のアプローチがいいのかを求めて読み、戦略が流れと動きを持った「ストーリー」として組み立てられているときに成功するという学びを得ました。当時の私には鮮烈に突き刺さった本でした。本当に強いストーリー、みんなが賛成するようなストーリーには、いくつもの矢が伏線として仕掛けられていて、それが1本の太い矢に束ねられています。矢には時間的な継続もあり、続ければ続けるほど太くなっていきます。この本で学んだビジネス戦略は、いまも私の研究提案に活かされています。