漏水は実は切実な課題である。日本は世界的に見ても漏水率が低いが、実態は、水道管の老朽化や人手に頼った漏水調査の限界が危惧されている。新興国では造った水が利用者に届く間に漏水で半分以上が失われしまい、生きていくために必要な水が手元に届いていない地域もある。日立製作所 研究開発グループの川本高司主任研究員は、超高感度振動センサーを用いた漏水検知システムの開発からサービス化までを手掛け、漏水問題の解決に取り組む。その根底には、社会に役立つ技術を開発したいという長年の思いがあった。

日立なら現場で活躍できる技術を身につけることができる

大学に入学するころは、漠然と技術者になるという選択肢しか考えていませんでした。父親がタービン設計技術者だった影響もあって、小さい頃から数学や物理・化学に興味を持って育ちました。大学の学部や学科もそうした延長線上で自然に選びました。大学で法学部や経済学部などの友だちから、いろいろな話を聞くうちに技術者以外の世界ものぞいてみたくなり、就職先として官庁やコンサルも見ましたが、最終的に世の中に役立つモノを生み出すことを“生業(なりわい)”とするプレーヤーであるメーカーで仕事がしたいと考え、修士課程を修了して2002年に日立に入社することになります。

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大学の研究室では、似た研究をしている先行事例とのベンチマークはできていたのですが、技術の実用化が気になっていました。社会に役に立つことを最終ゴールとする技術に関わりたいという思いが強くなっていました。今から思えば、世の中の役に立つとはどういうことなんだろうと当時からから考えていたような気がします。

大学では半導体プロセスを研究していましたが、より数学的に解ける半導体回路設計に惹かれ、この仕事ができそうな複数社の中で実践的な技術開発を手掛けていて若いころから大きな仕事ができそうな日立の研究所を選びました。

サンフランシスコでの100Gbps イーサからインドでの水の研究への大転換

日立に入社した2002年から2016年までは、基本的にはハードディスクや光ディスクドライブのインターフェースであるSerial-ATAやイーサネットや PCI-Express などの高速有線伝送(シリアライザデシリアライザ:SerDes)の回路とシステムの研究をしていました。

基本的に数学が好きなんです。「答えが出るから」です。さらに言えば素因数分解で要素が現わせる掛け算が好きで、全てを掛け算にしたいくらいです(笑)。システムも回路設計もトランジスタも数式にできますから。CADや回路シミュレーションが大きく進化していく最中でしたが、GUI(Graphical User Interface)のシミュレーションツールを使うより、自分でシミュレーションコードを直に書いて数式的に回路やシステムを考えることが楽しいと感じていました。

回路の設計をしていたときは、製品に関わる仕事が多かったです。当時、世界最高速のDVDドライブ用LSIを開発して各社のPCに搭載されました。若手に製品の要素技術の開発を任せる風土がありましたね。2014年には、チームリーダーとして100Gbps イーサネット(100GbE)向けのICを開発し、当時世界最高性能を記録し、半導体のオリンピックと称される国際学会「ISSCC(International Solid-State Circuits Conference)」 で発表し、注目をいただいたこともありました。IEEE(Institute of Electrical and Electronics Engineers)の100GbEの標準化作業などにも関わり、海外の半導体メーカーにも知人が増えて、サンフランシスコの空港に着けば誰かがクルマで迎えに来てくれるほどでした。アメリカ西海岸のエコシステムを感じながらの仕事でした。

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その後、日立の事業構造が変わってトレンド型の半導体ビジネスが縮小し、社会イノベーション事業にシフトすることになります。そんな経緯もあり、半導体回路の研究開発も方向性を見直す必要がありました。自分の設計した回路が搭載された製品も世の中に出回り、技術成果も出したし、博士号も取らせてもらって、今後はどうしようと思っていた矢先に、「インドに赴任してもらうことになった」と突然言われました。赴任した年にインド、ASEAN、オーストラリアの日立の研究開発部門を統合した組織が立ち上がったこともあり、現地でアジアの多拠点運営のマネージャーとしての役割が期待されていました。

これが大きな転機になりました。最初は戸惑いましたが、意外と早く慣れましたね。むしろ日本よりもフランクで、与えられた自由度を最大限に活用してストレッチした仕事の仕方をしていました。胃と腸は最後まで慣れませんでしたが(笑)。

画像: 日立インド社R&D拠点へ出向中、幸せを祈るイベントでの様子。

日立インド社R&D拠点へ出向中、幸せを祈るイベントでの様子。

現場に通い詰めることでわかってきた社会課題

ご存知のようにインドは人口が急増していて、成長スピードも早い。赴任している間にどんどん高速道路ができ、インフレ率7%で物価上昇するという変化を体感しながら、さて自分には何ができるだろうと考え続けました。

私は半導体回路や通信システムのバックグラウンドを持っていましたが、日立インドや日立アジアの中には、中央監視制御、金融・公共システム、電力系統制御、自動車部品、ストレージなど多様なバックグラウンドを持った日立の他部門の研究者が赴任していましたし、現地採用の研究者や、営業や事業部のスタッフもそれぞれ異なるバックグラウンドを持っていて視点も違いました。最初は話していることが理解できませんでしたが、辛抱強く話していただき、自分も覚悟を決めて新分野を理解できるように努めました。この議論がとても鍛えられたと思います。同時に、日立の本当の強さに気付きました。事業範囲が広いだけでなく、それぞれの事業分野に合った形で、深く事業に取り組み、事業体制とそれを支える技術や実績があることを、日立の「人」を通じて感じ取りました。

私はそれまでグローバル市場で薄利多売な半導体やITシステムの仕事をしていたので、一つの大型システムを何百億円、何千億円で受注する社会イノベーション事業の話に夢中になりました。赴任中はとにかく社内外のいろいろな方の話を聞いて、要求事項に回答することを繰り返していました。こうして、私は赴任によって半導体回路の人から、社会イノベーション事業の人へと頭と身体が入れ替わっていきました。

インドに赴任して、水のことを研究していたチームのマネージャにもなりました。赴任してから知ったのですが、世界中で水道水を飲める国は少ないのです。アジアパシフィック(APAC)ではシンガポールを除いて水道水は飲料に適さず、ペットボトルの水しか飲めません。インドでは水道水で白いワイシャツを洗濯すると2年で黒くなります。インドのような1日のうち給水される時間が数時間しかない間欠給水地域で漏水率が高いと、水が流れていないときに漏水穴から土やバクテリアなどが水道管内に混入します。そういう水で毎日シャワーを浴びることになります。お腹も壊すわけです。私たち家族は塀で囲まれたレジデンスに住んでいましたが、塀の外には飲めない水を飲むしかない人たちがたくさんいます。私自身は水のことは全く門外漢でしたが、社内外のいろいろな方々からも教えてもらいながら勉強して、現場にも頻繁に通って、徐々に実態が見えてきました。

インドの多くの水道局では、漏水率を計算するための正確な計測データがなく、実態の把握から取り組む必要がありました。35%程度と予想されていた漏水率(無収水率)は、実際に概算すると50%を超えることも多いのです。ただ、その実態は複雑です。インドの水道局員と一緒に行った浄水場の近くにはテントが並んでいて、テントの住人が浄水場から盗水していることもあります。盗水は違反ですが、水道局員も指摘はしません。それが違法だとしても人から水を絶つことはできないのです。一方で、水道局の建屋の中では、社長、幹部、職員から「インドの水道パーソンとして全ての人々に日本のようなきれいな水を届けたい。救える命を救いたい、健康な生活を市民に届けたい」と熱い相談をもらいます。インドで水に関わり、現場の実態観察を重ねることで、こうした差し迫った社会課題に貢献したいという思いが一層強くなりました。

インドでは、カルナータカ州の水道事業体(KUWS&DB)と共同で実証実験(日立評論のサイトへ)を行いました。流体解析と統計解析をベースとした手法で、どの程度の漏水が起きているかを明らかにしていきました。正確な配管情報などがないので簡易的な解析でしたが、漏水が疑われるところで漏水を見つけたときは、チームのメンバーみんなで歓喜しました。机上の計算と泥まみれになって現場に通った結果が完全に一致したわけです。この結果、水道局から信頼を得られ、それまで出てこなかった情報をいただけるようになりました。赴任中に現状の可視化につなげることはできましたが、漏水の削減まではできませんでした。社会に役立つという意味では道半ばだったかもしれません。

インドでの水との戦いは、数式では表現しきれない難しい世界です。漏水率の数式は簡単に言うと、漏水率=(造水量―課金できた水量)/造水量、ですが、課金できなかった水量の裏には貧富や格差、行政、権限、経済、地域文化など、多くの社会問題が複雑に絡み合っています。社会イノベーション事業に馴染むにつれて自分の中で大きな変化が起きました。これまでは数学的にきれいに答えが出ることが好きでしたが、簡単には数式にできない複雑で解けないものを、一つずつ紐解いていきたいと思うようになりました。水道局の幹部や大学教授と熱く語り合い、数学では解けなくても人間関係で解いたりもしていきました。

今から思うと、会社としても、私に変化を求めた赴任アサインだったのだと思います。半導体という割と数学で解ける世界から、複雑に利害などが絡む都市や社会の課題を解決していく社会イノベーション事業への気づきを与えてくれたのがインド赴任でした。子どもの友達の親と雑談するだけでも違う視点が自分の中に入ってきました。私を受け入れてくれたインドの方々を始め、さまざまな方のご支援のお陰なのですがインド赴任は楽しくてしょうがなかったです。

その後、日本に戻ることになりましたが、インドにいるときから、漏水の問題は世界的な課題であると考えていました。日本国内での漏水の問題は、私にとってはインドに次ぐ2つ目の漏水ソリューションです。他の研究者が研究、蓄積してきた要素技術を引き継ぎ、実用化レベルに仕上げて、事業化していく、漏水検知サービスの研究を立ち上げました。

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日本の水の課題を現実的に解く

インドなどに比べると日本の漏水は非常に少ないのですが、それでも課題はあります。現状は漏水の調査は人間が巡回して行っています。音聴棒という細長い聴診器のような探知棒を使って水道管の音を聴き、漏水の箇所を探していくという地道な作業です。道路や工事などの騒音があると聴き分けることが難しくなるので、深夜の作業が多くなります。大変な作業で、高い頻度では実施できません。一方で漏水の発見が遅れると、多くの水を無駄にするだけではなく、地中に空洞ができて陥没などの大きな事故につながるので、早期発見が重要です。水道設備は高度経済成長期までに作られたものが多く、耐用年数を超えて老朽化が進んでいます。今後、漏水のリスクは高まる一方です。

画像1: 日本の水の課題を現実的に解く

そこで私たちは、振動センサーを使って精度高く漏水を検知できる「漏水検知サービス(日立評論のサイトへ)」を開発しました。熊本市上下水道局との共同研究を経て2021年度からサービスとして提供しています。簡単に言うと、漏水が起きると微小な振動が発生します。この振動を検知することができれば早期に漏水を発見することができます。この振動を検知するために、水道管の制水弁に振動センサーを配置し、微小振動を観測します。漏水が発生すると特定の振動が現れるので、それをアルゴリズムで判別して判別結果をIoT通信でクラウドに送信して監視画面で地図上に漏水の可能性を表示させるというものです。これにより人手の巡回作業に頼らず漏水を早期に検知できます。

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サービス提供にこぎつけた基盤技術は3つあります。
まず、漏水を検知する仕組みの解明でした。漏水が発生すると、特有の振動が発生することを確認し、疑似的に再現できるノウハウを立ち上げました。これは大きな一歩で、その後の技術開発に大きな助けとなりました。次に、非常に微小な漏水振動を検知する超高感度振動センサーを開発したことです。

画像: 写真は、上水道を用いた実験設備での様子です。

写真は、上水道を用いた実験設備での様子です。

漏水の振動は砂を1粒、机に落としたときに発生する振動と同じくらいの微小振動です。ここでは、日立が長年研究してきたMEMS(Micro Electro Mechanical Systems、微細加工技術で機械要素部品を集積化したデバイス)技術を用いて、超高感度振動センサーを開発しました。

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そして最後が、漏水振動を他の多くの環境振動から分離して検知する振動解析アルゴリズムの開発でした。微小な漏水振動を検知できるだけでは漏水を精度よく発見できません。人の往来、下水音、自動販売機のコンプレッサなど、都市にはさまざまな環境振動が存在します。このような多くの環境振動の中から漏水振動を検知するアルゴリズムが必要でした。センサー側に実装したアルゴリズムで、高精度で検知します。これらの技術により、検知精度を最大90%と飛躍的に高めることができました。

技術的に漏水検知が可能になっただけでなく、これをサービスとして社会に役立てるようにするところまで、研究者として携わっています。日立の研究者として、自分たちの技術が社会に役立つ方法を考える、この事業化フェーズに頭を悩ますことができるのは、私はとても楽しいフェーズだと思っています。超高感度振動センサーを用いた漏水検知システムは、2019年から熊本市、2021年に福岡市で実証などを経て、2022年には第51回 日本産業技術大賞文部科学大臣賞(主催:日刊工業新聞社)をいただきました。熊本市上下水道局での実証には深くかかわり、水道局の方々には多くのご協力に加え、実証現場での温かい言葉もいただき、感謝しています。

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技術は、現場で役に立たないと意味がありません。学会はトップデータを出して、優れていれば評価されます。しかし学会を最終目的とする技術は現実世界では役に立たないこともあります。社会の課題を解決する技術とは、現場のさまざまな環境変化にも耐え、事業としてお客さまの手元に届けられる技術です。この部分は、半導体回路の設計から漏水検知に対象が変わっても同じ考えで取り組んでいます。

世の中の現場の泥臭いところに深く入り込んで、本当の課題を見つけて解決することを大切にしています。現在も、漏水調査会社の熟練作業員が検査している現場に同行して、現場から課題を得るようにしています。普段、私たちが蛇口の水を飲めるのは、水道局や漏水調査会社の日々の努力のお陰です。しかし、熟練作業員の高齢化、水道管の老朽化などから、今後、日本でも安全な水を飲み続けられるか分からなくなってきています。このような社会課題をどのように捉えるか、どのように研究テーマに落とし込み、研究室で仲間と解決につながる技術を研究し、実証して、事業にしていくか、これが日立の研究所では仕事としてできます。

手ぶらでお客さまを訪問して「お客さまの悩みを教えてください」では解決技術が考えられないのではないでしょうか。自分の技術や実績を紹介しつつも、自分たちの技術に固執せずにお客さまの課題に耳を傾け、事業としてどのような回答ができるかを具体的に噛み砕き、技術開発を早くまわし、回答していくサイクルを早く回す必要があります。研究者である私たちは、技術的な観点を理解した上で事業としてどのように解けるかを考えることが重要です。日立は事業部、営業、研究所が束になって一つの目標に向かっていくときの組織的な連動が強みだと思います。漏水検知サービスも含めて、今は社会課題を解決する事業を開発することが面白くて仕方ないです。

日本、インド、ASEAN地域での経験から、社会課題の解決は慈善事業では難しく、社会貢献性と事業性の両立が重要であると考えています。日立という企業の立場から、事業という目線で社会課題を解決していくことを考えることが、最終的な社会貢献につながると考えています。海外赴任で感じたのは、技術だけではなく社会構造や経済構造も同時に考えて、それをパートナーや顧客に主張してもいいということでした。これからも、社会インフラの課題を解決する事業と技術を検討していくつもりです。

画像5: 日本の水の課題を現実的に解く

川本高司(KAWAMOTO Takashi)

日立製作所 研究開発グループ
計測イノベーションセンタ
エッジコンピューティング研究部
主任研究員

辛いときに読むと自分より辛い人がいると感じさせられる

小学3年生のころに親に勧められて読んだ「路傍の石」(山本有三著、新潮文庫)を、繰り返し読んでいます。貧しいけれど負けず嫌いな主人公の愛川吾一が、不遇と苦難を正義感と矜持で乗り越えていく姿に共感を覚えたのが始まりです。その後、辛いときに読むと、自分の状況は彼ほど辛くはないと思えて、頑張れるような気がしています。もう1つ、この本は時世もあり未完の書となっています。結末が書かれていないので、彼の未来を読み手の自分が夢見られる楽しさがあります。路傍の石を愛読書にしている方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。この本の話で盛り上がれるのも好きな理由の1つですね。

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