手術や薬物療法と並び、がんの三大治療とされる放射線療法では、がん細胞に放射線を集中的に照射して、がん細胞の遺伝子を傷つけ、死滅させる。手術とは異なり、臓器を温存できて、体への負担が少ないのが特徴だ。現在、早期がんの根治、進行がんの転移の治療、骨転移の痛みを抑える緩和的治療、薬物療法との組み合わせ(化学放射線療法)など、がんの種類やステージ・目的に応じ、放射線の種類や照射方法が異なる多様な放射線療法が行われている。今後ますます発展が期待される放射線療法。より高精度で使いやすい放射線療法の研究開発の現状と未来について、脱炭素エネルギーイノベーションセンタでプロジェクトチームを引っ張る沈麗萍シニアプロジェクトマネージャと可児祐子主管研究長に聞いた。
粒子線治療に向けた新型可変エネルギー加速器の開発
「新しいコンセプトの加速器で粒子線治療を高度化させる研究にワクワクしています」(沈麗萍・シニアプロジェクトマネージャ)
固形がんに対する放射線療法で用いられる放射線は、大きく2つに分けられます。1つは電波や光の仲間である電磁波の波長が短いX線やγ(ガンマ)線です。X線やγ線は透過性が高く、皮膚や筋肉を通り抜けるという特徴があります。鉛の板は通さないため、X線検査を行う施設では鉛製の壁で検査室を覆っています。
もう1つは、電子や陽子、中性子などの粒子を加速した粒子線です。粒子線はエネルギー量によって透過性が変わり、止まった個所で最も大きな線量を与える特徴があるため、患部の体表からの深さと形状に合わせてエネルギー量をコントロールしたビームを当てることで、がんへの線量の集中性を高められます。粒子線は照射後に体外には出ないというメリットがありますが、粒子を加速するための大きな加速器が必要です。
私たちのチームは、粒子線治療装置、中でも小型で高線量率の加速器の開発をしています。私はもともと大学院で磁性材料を用いるセンサを研究して博士号を取得しました。それが現在の加速器で使う磁極の研究につながっています。
粒子の加速には長い距離が必要で、加速器では荷電粒子に強い磁場をかけて軌道を曲げ、周回させることで加速していきます。そうした加速器には、同一の軌道上で磁場を変化させながら加速するシンクロトロンと、一定の磁場の中で軌道が膨らみながら螺旋状に加速するサイクロトロンの2つのタイプがあります。シンクロトロンはON/OFF制御で任意のエネルギーの粒子が取り出せますが、照射が間欠的で、また小型化が難しい(直径7m程度)。一方、サイクロトロンは連続的な照射が可能で、一定磁場であることから超伝導磁石を用いて小型化しやすい(直径3m程度)ですが、最大エネルギーしか出てこないので外部の減衰器によるエネルギー変更が必要です。私たちのプロジェクトでは日立オリジナルの技術を導入し、照射エネルギーが可変で、かつ小型化と連続照射できるという、いいとこ取りの新型加速器を作ろうとしています。
この新型加速器のポイントは、粒子線の周回軌道を偏心にしている点です。加速器内で粒子線を目標エネルギーまで加速し、出射機器で任意のエネルギービームを取り出します。これまでの研究で、すでに必要なエネルギー範囲のビームを取り出せることをシミュレーションで確認しました。磁場の分布を調整して高いエネルギーも低いエネルギーも照射できるという技術検証に取りかかっているところです。
このようにがんの状況とがんの照射部位によって粒子の線量率とエネルギーをコントロールし、かつ必要に応じた各エネルギーのビームを連続照射できると、治療のスループットを上げ、副作用を減らせます。完成すれば、TOP病院だけではなく地域の中核病院でも導入しやすくなり、その結果、より多くのがん患者さんにより先端な治療をお届けできるようになると考えています。
α線内用療法用の放射性核種製造技術
「がん細胞を攻撃する放射性核種を高品質高効率に生産し、新しいがん治療薬を誕生させたい」(可児祐子・主管研究長)
私自身は、大学で化学を専攻し、医療用、特に診断薬として用いる核種*1)の基礎研究をしていました。日立に入社した後はエネルギー関連の開発に取り組む部署に配属され、原子力発電の使用済み燃料リサイクル技術、福島原子力発電所の汚染水処理技術などの研究に携わりました。そして今、また医療用の核種の研究に戻ってきた、というわけです。
*1)核種:原子核の組成(核の中の陽子の数、中性子の数、核のエネルギー準位)で規定される特定の原子の種類
日立では、粒子線治療のように放射線のビームを直接患部に照射する方法とともに、がん細胞に選択的に集積する性質を持つ薬剤とがん細胞を破壊する放射性物質を組み合わせて投与する内用療法についても研究開発に取り組んでいます。内用療法は、固形がんの転移や白血病、リンパ腫など全身に散らばるがんに対する治療法です。
私たちのチームでは、がん細胞を破壊する放射線の一つであるα線を放出する放射性物質アクチニウム225の製造に関する研究を行っています。このα線内用療法は比較的新しい治療法で、2016年に、このアクチニウム225を付けた薬剤による治療で前立腺がんの患者さんの全身に転移したがんがほぼ消失したという報告があり、その治療効果に大きな注目が集まっています。
α線はがん細胞の極近傍だけにエネルギーを与えられるため、がん細胞の周囲の正常細胞には影響が及びにくいというメリットがあります。治療を行う病院や施設でも特別な遮蔽などが不要です。また、アクチニウム225は半減期が約10日と長めで、製造後の輸送や医療機関内での投与準備等の期間を考えると、扱いやすい核種といえます。
アクチニウムは天然ではウラン鉱石などの中に少量含まれているだけで、また、天然のアクチニウムは治療薬に適した性質の核種ではないため、分離して使うことは実用的ではありません。現在のところ、アクチニウム225は取り扱いが難しい核物質であるトリウム229を原料とした少量生産の他に、原子炉や加速器を用いた核反応による生産が検討されていますが、世界的に需要を満たす供給ができていません。また、作ったアクチニウム225に不純物があると投与したときの副作用につながります。そのため、不純物ができる限り少ない高品質のアクチニウム225を効率よく量産する方法が求められています。
アクチニウム225を結合させた治療薬はまだ市場に出ておらず、欧米で治験が始まっています。日本でも治験に向けた研究が進められています。
私たちは、東北大学や京都大学と共同で、光核反応を用いたアクチニウム225を高効率・高品質に製造できる技術を開発しました。電子線形加速器で電子を加速し、それによって作り出した透過性が高い制動放射線を核物質ではないラジウム226全体に照射して光核反応を起こさせ、アクチニウムを製造するという方法です。この方法では不純物である半減期の長い放射性核種ができるのを避けることができ、高品質なアクチニウム225を得ることができます(下図参照)。
私たちの強みは、世界で初めてラジウム226の光核反応に関する詳細なデータを実験的に収集したことです。これは、今後どのような反応システムや製造施設が必要かを検討する基礎材料になります。
課題は、まだ医療用として供給できるだけのアクチニウム225を製造できていない点です。現在、製造量のスケールアップと品質評価に取り組んでいます。日立には、他の核種を用いたがん検査支援サービスや、医薬品事業向けソリューションを提供する事業部門があります。このα線内用療法向けの開発も、事業部門と連携して早期の実用化をめざしていきたいです。
新しい治療法が実用化すれば、放射線療法の普及も後押しするはず
——— 沈麗萍と可児祐子のショートトーク
沈:欧米に比べると、日本ではがんの治療における放射線療法の割合が低いのが特徴ですよね。例えば、米国ではがん治療の約6割が放射線療法で、約4割が手術と化学療法ですが、日本では比率は逆です。
可児:そうですね。放射線に不安を持っていらっしゃる方が多いのかもしれません。私は原子力発電に関する研究にも携わり、一般の方と放射線に関するお話をしたことがあるのですが、放射線は日々浴びる宇宙線、医療や工業用に使われるX線検査、がんの放射線治療など意外に身近であることをご説明すると驚かれることがありました。これからは、がん治療の実績などを通じて放射線のメリットについても理解が深まっていくとよいと思っています。
沈:粒子線治療は装置システムの価格が高く、初期投資の回収に時間がかかることが普及の大きなネックになっています。それだけに私たちのプロジェクトが開発する、従来品よりも高いスループットの加速器には大きな社会的意義があります。公的健康保険の適用になる粒子線治療項目も増えており、今後、医学的なエビデンスが積み重なっていけば、粒子線治療を希望する患者さんも増えるでしょうね。
可児:核種の開発では、日立が長年、原子力発電の研究開発や実用化で培ってきたノウハウが生かせていると感じます。核反応を使って新しい治療薬を世に届けたいという強い想いを持ち、長年研究に取り組んだ先輩がいてくださったことが研究開発の継続の大きな力になっています。
沈:製品化に時間がかかる、チャレンジングな研究に時間や人財を割いてくれている日立製作所という会社に感謝ですね。今回の研究は、2050年の社会像からのバックキャストにもとづき、単なる進歩にとどまらないイノベーションを起こそうということで掲げたいくつかの研究テーマの一つに位置付けられています。多くの優秀な研究者と協力しながら、世界のどこにもない加速器を作っていることにワクワクします。
可児:今、新しい治療薬の誕生に関わっていることにとてもやり甲斐を感じています。プロジェクトが進むにつれて、いろいろなバックグラウンドを持つ研究者がチームに増えてきました。日立の底力の見せ所です(笑)。共通認識を作って研究を進めるのは大変ですが、異分野の研究者のチームではお互いの理解が進むとこれまでできなかったことができるようになることも過去に経験してきました。また、事業部門との連携を通じて、研究成果を新しいビジネスにつなげる過程を知るのも楽しみです。ジタバタしながらもがんばろうと思っています。
沈麗萍(SHEN Liping)
日立製作所 研究開発グループ
サステナビリティ研究統括本部
脱炭素エネルギーイノベーションセンタ
シニアプロジェクトマネージャ
社会の変化と自分の仕事の位置づけを考えるヒントに
2016年に日立上海から日本の研究開発グループヘッドオフィスに異動になってまもなく、当時の上長に「猛スピードで変わっていく社会の変化を見て、自分の仕事にどう影響するかを考える習慣をつけなさい」と言われました。そこで、本屋さんで見つけたのが「教養としてのマクロ経済学」(藪下史郎著、東洋経済新報社、2015年)です。経済学の流派、日本のバブル経済の発生や崩壊の理由などがわかりやすく解説されています。この本を読んでから、ニュースを見て考えるのが楽しくなりました。
可児祐子(KANI Yuko)
日立製作所 研究開発グループ
サステナビリティ研究統括本部
脱炭素エネルギーイノベーションセンタ
主管研究長
人生の指針になる言葉・生き方をくれた本
「赤毛のアン」(L・M・モンゴメリ、村岡花子訳、新潮社)の最終章で、アンが「曲がり角を曲がった先に何があるかはわからない。でもきっと一番良いものに違いない」と言います。高校生のときに読んだのですが、今もこの言葉を折に触れて思い出します。また、大学時代に手に取った「キュリー夫人伝」(エーヴ・キュリー著、川口篤、河盛好蔵、杉捷夫、本田喜代治訳、白水社)はキュリー夫人の次女エーヴが綴った伝記で、子育てをしながら研究を進めていた研究者としての姿勢に感動しました。