医療だけでは対応しきれない生活習慣病や孤立・孤独――。人口減少に向かう日本社会には、さまざまな課題が山積していますが、それを解決するためのリソースにも限りがあります。日立製作所 研究開発グループでは、健康を維持するための機能を医療だけでなく、スポーツクラブや栄養指導などの地域資源を活用して実現する「社会的処方」の研究に取り組んでいます。そのひとつが新潟県十日町市での実証です。地域資源と住民をつなぐリンクワーカー(保健師など)の業務を、音声認識×生成AIで支える「リンクワーカー業務支援システム」の検証が着実に進んでいます。家電から医療・サービスまで横断した経験を持つUXデザイン部の荒川正之主任デザイナーと、医療分野のデータ活用を現場から研究し続けてきたデジタルヘルスケア研究部の大崎高伸主任研究員に、日立と社会的処方の掛け算が生み出す価値を聞きました。
リンクワーカー業務支援システム開発の2人の原点にある「ものづくり」
荒川:学生時代は工学部の工業意匠学科でデザインを勉強していました。小学生時代から工作が好きで、 タミヤのミニ四駆を改造したりして遊んでいたものです。そうした興味の延長線上でものづくりを勉強したいなと思い、専攻はデザイン科を選び、新卒では他のメーカーにデザイナーとして就職しました。その会社も特定分野では世界トップクラスの企業でしたが、働いているうちに幅広い製品分野に取り組みたいとの思いから転職を考えるようになりました。日立に就職した研究室の先輩に「新幹線のようなものから、目に見えない社会制度までデザインできるスケーラビリティがある会社」と紹介された経緯もあり、中途採用で募集していた日立に応募して転職することになりました。

日立製作所 研究開発グループ Digital Innovation R&D デザインセンタ UXデザイン部 主任デザイナー・荒川 正之
入社して十数年間は、掃除機や空気清浄機などの家電製品のデザインに携わりました。特に掃除機は、本体に車輪がついているキャニスター型からスティック型やロボット掃除機へと需要構成が変わるタイミングだったのでエキサイティングでしたね。海外市場向けの空気清浄機のデザインにおける社外の著名なデザイナーとのコラボレーションも印象的でした。デザインへの態度や追求する姿勢、細部への徹底的なこだわりなど学ぶことが多かったです。
その後、ヘルスケア関連のデザインを担当することとなり、病院の中で使われている血液分析装置やがんのX線治療装置などのデザインを手がけました。さらにその延長線上で、ロボットと人間が協働する検査室の将来像のデザインにも取り組んでいます。そして現在は、ヘルスケア分野のデータ分析からサービスを検討する大崎さんたちのプロジェクトに関わっています。デザインする対象はどんどん変わっていますが、基本的にはデザイナーとしてユーザーに喜んでもらう視点を忘れないように心がけています。
大崎:私は工業高校の電気科出身です。 ガンプラ(機動戦士ガンダムのプラモデル)世代なので、ものづくりが好きで、早く就職してものづくりに没頭したいと思っていました。日立には社内に教育機関があり勉強できる場、成長する場があるということを知り、入社を決めました。

日立製作所 研究開発グループ Sustainability Innovation R&Dヘルスケアイノベーションセンタ デジタルヘルスケア研究部 主任研究員・大崎 高伸
その後、医療系の研究部に配属されて、研究の補助から始めました。例えば、尿中の血球や物質を見分ける画像処理の研究で、大型計算機に処理を流してデータを取ってくるような作業です。その中で、プログラミングの勉強をして実験用のプログラムを自分で作るようになっていきました。1990年代の後半は、遠隔医療の研究が始まり、X線画像を離れたPC間で共有して画面を連動させながら会話する、現在のリモート会議のようなことができる実験用システムのプログラミングを中心に取り組んできました。
2000年代からは健診データやレセプトデータ利活用の研究に従事するようになりました。病気の治療だけでなく、病気の予防のための研究です。そこでは日立の健診機関が収集した大量の健康診断データを使って、糖尿病などの生活習慣病リスクを分析していきました。さらに、リスクが分かるだけではなく改善させる方法が必要だという議論になり、インターネットを使用した特定保健指導プログラム「はらすまダイエット」の開発を行いました。これは日立で活用するだけでなく外部のサービスとしても継続して利用されているものです。このプログラムや糖尿病・生活習慣病予防の実証実験はイギリスでも実施しました。その過程で得られた成果を論文にまとめ、2019年に博士号を取得することもできました。データを使いながら人の健康に貢献することをテーマとした研究で、現在も取り組みの事業化支援を継続しています。
十日町市の地域課題から見えてきた「社会的処方」の必要性
大崎:医療のデータ分析を継続している中で、新潟大学の菖蒲川先生(新潟大学大学院医歯学総合研究科 十日町いきいきエイジング講座 特任教授)からお声がけいただきました。菖蒲川先生は、新潟県十日町市をモデル地域として、社会課題の解決に取り組んでいらっしゃいました。当初はデータ分析からリスクを抽出することを想定していましたが、打ち合わせを重ねるうちに、課題の抽出から解決まで一緒に考えることになりました。
まず地域の課題とはどのようなものかを議論しました。十日町市は中山間地域にあり、人口も減少しています。医療資源や生産年齢人口が減少する中で、どのように住民の健康維持を図っていくのかという課題が見えてきました。住民の健康維持のために医療資源だけに頼ることが難しくなるかもしれない中、地域にあるさまざまな資源を使うことができるのではないかという視点から、議論が深まりました。そして糖尿病を地域課題の一つとして検討を進め、運動や栄養指導ができる「地域資源」を効果的に活用することができると気づいたのです。
地域資源を活用して社会的要因を改善することで健康を維持するという考え方は「社会的処方」と呼ばれます。イギリス発祥の考え方で、十日町市の取り組みもまさに社会的処方だと気がついたわけです。医療的に治すだけでなく、社会環境を良くすることで健康を維持し、より良く生きられる社会を作っていくイメージです。

行政や民間の地域活動と地域資源とをつなぐ「リンクワーカー」に着目
大崎:そこで新潟大学と十日町市、日立は、社会的処方とテクノロジーで健康社会のシナリオを創出するプロジェクトを開始しました。「データを分析して地域の課題を見ていく」「地域の資源を使いながら住民の健康を維持していく」ことを目的にしたもので、2023年から2024年にかけて実施しました。そこでは、支援を必要としている人と行政や民間の地域活動やサービスなどの地域資源とをつなぐ「リンクワーカー」に着目しました。糖尿病で生活習慣の改善が必要な人に、保健師がリンクワーカーとなって、地域の管理栄養士やスポーツクラブを紹介する実験を行ったのです。荒川さんに、課題や将来像のデザインで入ってもらって、デザイン面から支援していただきました。
荒川:糖尿病の患者にインタビューする事例があって、デザイナーに入ってほしいという依頼がありました。実は日立のデザイナーは調査やインタビューが業務になっていることも多いので、大崎さんのチームと繋がったのはごく自然だったかもしれません。十日町市で、病院の先生や市役所の方々と、現場レベルの課題を解決するための将来像を描く仕事です。
大崎:当初の実証では、10人ほどの糖尿病患者にリンクワーカーが紹介した管理栄養士やスポーツクラブを利用していただきました。参加者には血糖を示すHbA1cという検査値に改善が見られ、社会的処方の効果が確認されています。実証を始める前は、10人に参加してもらっても、プログラムの最後までは数人しか残らないだろうと予想していたのですが、8人が最後まで参加し続けてくれました。実証が終わった後も、自己負担でスポーツクラブに通い続ける人も出ています。糖尿病患者の健康回復に加えて、地域の活性化にもつながる取り組みにもなってきました。
荒川:糖尿病患者を対象にしたプロジェクトでは、日立と新潟大学の菖蒲川先生、市役所など現地の方たちと何度も打ち合わせをしてサービスを作り上げていきました。私たちデザイナーが実際の絵にして起こすことで、共通理解が生まれ、議論が活性化しました。現在でも頻繁に十日町市に出張して意見を交わしています。
住民と地域資源をつなぐリンクワーカーの業務をAIで効率化
大崎:こうした実証の成果から、新潟県、新潟大学、日立は、さらにテクノロジーを利用することで社会的処方に携わるリンクワーカーを支援するプロジェクトを始めました。このプロジェクトは、科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発センター(RISTEX)が推進する社会技術研究開発事業のひとつであるSOLVE for SDGsソリューション創出フェーズの 2024 年度の新規プロジェクトとして採択されました 。
それまでの実証で、リンクワーカーとして活動した保健師の負担が予想以上に大きいことがわかりました。リンクワーカーは、まず対象者から生活状況や健康状態などをヒアリングします。そして、その状況から、スポーツクラブや管理栄養士といった地域資源のマッチングを図ります。実際には、対象者のヒアリング結果をレポートとして記録に残し、紹介先の地域資源につなぐ作業も発生します。保健師の方々にはその他にも多くの業務があり、負荷が増えては持続可能な取り組みになりません。そこで、面談の記録をAIで自動的にレポートを作成し、適した地域資源を紹介する仕組みを開発することになりました。

具体的には、AIを活用したリンクワーカー業務支援システムの開発です。まずリアルタイムでリンクワーカーと対象者の面談時の会話内容をリアルタイムでテキスト化します。さらに、地域資源の紹介に必要な健康状態や生活状況、希望する支援内容などの情報を、整理・要約して、レポートのフォーマットで表示していきます。リンクワーカーが聞き漏らしていることがあれば、視覚的に確認できるため、その場で必要な項目を漏らさずに聞き取れるようになります。さらに、生成AIによって要約、整理した面談内容を元に、地域資源の候補を検索、提示します。
荒川:このAI活用のリンクワーカー業務支援システムの画面などのデザインは、開発のスピードを優先したため、まだあまり手を付けていません。一方で、システムとしては確実に機能するよう、対象者とリンクワーカーが面談をする場所について調査をして、音声認識における騒音への対応などは、設計から加わって開発しています。
大崎:生成AIの進化の動きが早いこともあり、早く開発して現場で実証できるレベルのアプリケーションを作ることを最優先しました。リンクワーカーとしての業務に即して必要な情報の分類・整理を行うように工夫しました。
荒川:現場に何度も試作機を持ち込んで、ちゃんと面談の会話を認識できるように調整しました。十日町市の現場の皆さんと密にやり取りをしながら、信頼関係ができていたことから、一緒にシステムを作っていく関係が出来上がったと感じています。
打ち合わせの進め方もデザインの対象
大崎:AIを活用したリンクワーカー業務支援システムは、実験用のプロトタイプという位置づけです。これからどのように製品として仕立てていくか、事業部門などと一緒に検討していきます。ドキュメントを作成するところまでのリンクワーカーの仕事はかなり楽になったはずです。検証段階でリンクワーカーの担当者からは、「面談記録作成や確認の業務を1/3以下に大幅軽減できる可能性がある」とコメントをいただいています。現在、さらに観察と評価を重ねているところです。
荒川:住民の皆さんに使ってもらうためには、わかりやすく伝えるドキュメントも必要です。文字が多かったら読んでもらえませんし、情報を整理することも必要です。そうしたコミュニケーションの側面でも、デザインの果たす役割は大きいと感じています。いわば「打ち合わせのデザイン」ですね。

大崎:対象者やリンクワーカーに伝える情報のデザインによって、お互いの理解が進み、現場の活動がやりやすくなっていると感じます。さらに荒川さんには、さらに大きな視点でのデザインも担ってもらっています。地域の課題や将来像を可視化することで、それをベースに議論しています。社会的処方には多くのステークホルダーがいます。社会の制度は縦割りで考えることが多いですが、どのようにしてステークホルダー同士、横に連携をしながらめざす姿に到達するのか、共通認識を荒川さんにデザインしてもらうことが重要です。
荒川:十日町市で実証している取り組みは、まだ小さなものです。当初のプロジェクトで10人でしたし、規模が拡大してきた現在でも50人程度のものです。それでも、小さなところから価値検証を地道に行うことで、大きな取り組みにつなげていきたいと思います。そのためには、あるべき姿を検討して旗を振るための大きな視点のデザインも必要ですし、現場の課題を解決するための価値検証のデザインも必要です。この両側から取り組むのが良さそうだと感じています。
大崎:小さな取り組みの社会的処方を、今後どのように展開し、社会の中で持続できる形に作り上げるかは大きな課題だと感じています。地域にあるデータを活用して、社会課題を明らかにした上で、具体的な対策を考えていく。その時のデータの活用の仕方から実際の具体的な課題の解決をサポートする形をうまく回せるように、そしてその活動が他の地域にも広められるように考えていきたいと思います。

(本取り組みの一部は、JST-RISTEX SOLVE for SDGs (ソリューション創出フェーズ) 「多様なリンクワーカーとともにつくる社会的処方とテクノロジーがつなぐ地域主導の未来型健康社会のソリューション創出」プロジェクトの研究開発の一環として実施されたものです。)

大崎高伸(Takanobu OSAKI)
日立製作所 研究開発グループ Sustainability Innovation R&D
ヘルスケアイノベーションセンタ デジタルヘルスケア研究部 主任研究員
壊しながら作り続ける「生命」の不思議
「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」(福岡伸一著、木楽舎)が好きです。数年前にテレビで福岡伸一先生の番組を見たことがきっかけで、本を探して読みました。生命の不思議を記した書籍で、特に印象にあるのが、「生命は生きていくために、一部を壊しながら新しく作っていく。常にそのバランスを取って変わらないために変わり続ける」という考え方です。生命を維持するためには、壊し続けて作り続けるしかないということに、不思議さを感じました。自分たちの活動も、壊しながら新しく作っていく必要があることを考えさせられます。

荒川正之(Masayuki ARAKAWA)
日立製作所 研究開発グループ Digital Innovation R&D
デザインセンタ UXデザイン部 主任デザイナー
デザイナーとして日本の手仕事を再考する
最近読んだ本で印象に残っているのが、「手仕事の日本」(柳宗悦著、岩波文庫)です。戦後まもなく、およそ80年ほど前に発刊された書籍で、知ってはいたのですが未読でした。知人がSNSで紹介していたことから読んでみたところこれがとても面白かったんです。著者の柳宗悦さんは日本の民藝運動の創始者でもあり、日本人の特性を生かしたものづくりや、手跡がのこる日本のものづくりの素晴らしさを語っています。本の中で何度も言及されている、実用品に備わる美しさの考察は、現代のものづくりにも通じる普遍的な視点で、作り手への叱咤激励に感じました。
(撮影:服部 希代野)




